- p21 とりわけ問題なのは、SNSが普及するとともに、言論においても文化においても、しっかりとした主張の上で地道に読者や支持者を増やしていくよりも、いまこの瞬間に耳目を集める話題を打ち出して、有名人やスポーツ選手を使って炎上させるほうが賢く有効だという風潮になっていったことです
- p32 会社の本体はむしろ事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生み出せません
- もっとも重要なのは、「なにか新しいことを表現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかり追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかも知れません
- p54 原子力災害の本質はそもそも物理的=身体的(フィジカルな被害と心理的な問題の区別がつきにくいことにあるからです
- ぼくは、この区別がつかないということを扱うためには、物理的な除染が必要であると同時に、心理的な除染も必要ではないかと考えました
- p62 「やっていけそうだ」と思うことと、現実に実現することは全く違う。やるべきことを発見するというのは、ほかの選択肢を積極的に切り捨てることである。30代のぼくは、たんにそれが怖くてできなかった、臆病だったんです。だから、「望めばなんにでもなれる自分」を守るため、なにもかもできるふりをして選択肢を捨てずにいた、とても幼稚な話です
- p73 炎上なんてどうでもいい 問題は資金繰りであって、そっちのほうがよほどリアル
- p79 ファイルはたしかにデジタルでクラウドにおいてもいい。けれども、それだけでは社員は仕事の存在をわすれてしまうのです。契約書や経理書類を紙に印刷し、目に見えるものとして棚に並べるのは、仕事があることを思い出させ続けるためだと思います。
- p82 僕が仕事を任せるということの意味をわかっていなかったことにある。仕事を任せるためには、現場でいちどそれを経験しておかないといけない。そうでないと、なにを任せているのかもよくわからないまま、ただ任せるだけになってしまうからです。それはほんとうに任せているのではない。単純に見たくないものを見ないようにしているだけであり、面倒なことから目を逸らしているだけなんです。
- 任せることと目をそらすことは根本的にちがう
- p91 コミュニケーションでは誤配が大事
- p103 HDMIケーブルには泣かされた 規格が繊細
- p164 ぼくたちの社会では、SNSが普及したこともあり、「言葉だけで決着をつけることができる」と思い込んでいるひとがじつに多くなっています。でもほんとうはそうじゃない。言葉と現実は常にズレている。報道で想像して悲惨なイメージをもって被災地にいったり被害者に会ったりしたら、ぜんぜん違う印象をうけた。あるいはその逆だったということはよくあるわけです。そういう経験がなく言葉だけで正しさを決めようとしても意味はない。むしろ大事なのは、言葉と現実のズレに敏感でありつづけることです
- 言葉から想像したものは経験で裏切られる けれど経験したあとだとたしかに事前に言われていたとおりだったとわかる
- p164 ばくたちは言葉でコミュニケーションするしかない。言葉で説得し、後世に伝えるほかはなんだけれど、同時にそれでは大切なことは伝わらない。その限界をわかっていないと、無駄な「論争」ばかりすることになる。これは現代的な問題であるとともに、哲学の起源にもあった問題で、ソクラテスは、言葉を記録すると真理はかえって伝わらないと考えたので、本を書かなかった。にもかかわらず、そんな彼も、結局は反対派の言いがかりのような告発を受け、死刑を宣告されました
- p259 いまの日本人に必要なのは啓蒙です。啓蒙は「ファクトを伝える」こととは全く異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提の上で、彼らのみたいものをどう変えるか、それが啓蒙なのです。それは知識の伝達というよりも欲望の変形です。
- 啓蒙というのは、ほんとうは観客を作る作業です。それはおれの趣味じゃないから、と第一印象で弾いていたひとを、こっちの見方や考え方に搦手で粘り強く引きずり込んでいくような作業です。それは人々を信者とアンチには分けていてはけっしてできません。
- 言葉は現実の一部しか切り取れない。残りの空間は想像で埋められていてそこに先入観が宿り、常に現実とずれる。言葉の限界を認識しないと無駄な論争に終止する。
- エーザイ 杉本八郎 1961年入社 在社中にふたつも新薬をあてた 1990 人事部へ 1997 筑波の探索研究所に副社長で戻る
- 認知症の尺度 HDS,MMSE p100 ADAS 79点満点 変化捉えやすい
- E2020 ファイザーの助けをえて国際化
- p207 真理もはじめは少数派である
- p250 エーザイはアリセプト以降新薬を上市できず、アリセプト、パリエットという2大商品の特許切れの時期をむかえることになった
- p270 2014 DIAN研究 dominantly inherited alzheimer network trial 家族性アルツハイマー病の家系の人々について発症前からPETスキャンなどで、脳内の変化をしる目的ではじめられた
- 2000年代なかばに行われていたバピネツマブなどの治療は介入の時期がおそすぎたのではないか?
- p283 内藤晴夫 総合製薬の看板をおろし、認知症とがんの2分野に絞っていくことにきめた
- p298 森啓 大阪市立大 退職 田宮病院
- DIAN-J 研究代表 池内健
- p50 安くたくさんを徹底していては、人口減少社会の日本においては問題が起こるのは間違いありません。売上よりも利益率にこだわるべきです
- p52 つまり「自分で作る」か「もらうか」くらいで市場を通じて購入したことはないので、都市部にむけて正しい値付けをするのはかなり難しいのです
- p54 値段を高くすると地元重鎮からたたかれる
- 「安くたくさん」による衰退連鎖を止めるような付加価値の高いサービスを提供すると「ボッタクリだ」とか「3日で潰れる」とか悪口を展開する人たちがバンバンでてくる
- 付加価値の高い製品を少人口で作るから地域は長期にわたり反映する
- p63 トップの仕事とは「人事」が9割を占めるといっても過言ではありません。「何をやるか」よりも「誰とやるか」「誰に任せるか」のほうが圧倒的に重要です
- p69 公民連携プロフェッショナルスクール
- p81 外から移住者を呼んで来る前に解決すべきは、地元から逃げていく人たちの意見を聞いて、えらい人たちが態度・思想を改めることです
- p83 若い女性が地方を離れ、東京に向かう理由をみていくと、「東京が魅力的」というより、「地方社会が女性に閉鎖的で、成長機会に乏しい」と認識しているわけです。さらに地方は治安が悪くて、怖い、自分が望む住まいもないとしている回答をみると、男である私にも見えない地方の問題を感じて、出ていく女性が多いことに気付かされます
- p84 簡単にいえば、企画や事務職で働きたい若い女性が多い一方で、地元企業では募集がなかったのです
- p97 まず地域のトップに必要なのは夢
- p100 旭川市郊外の当麻町 でんすけすいか 75万
- p104 みんなという人はいない
- p122 皆で力を合わせ、頑張ればどうにかなる、という幻想を維持するために、何か問題点を提起するものを悪いやつと決めつけて集団で攻撃しているうちに、他の地域はより魅力的な商品サービスを作り出し成長していきます。常に敵は外にあり、なのです
- p126 「みんな」なんて抽象的な主語はいりません。まずは「私」が何をするか、なのです
- p129 事業におていは、診療、経験、投資という3つの軸が必要
- p133 基本的には、多くの人は、「誰が話すか」によって判断をしている
- p137 集団がもつ幻想は無責任と他力本願と現状維持を正当化するために共有されているものが多くあります
- p138 地元に挑戦者・成功者がでたときどんな行動をとるべきか 応援は具体的行動で示す、様子見は潰しに加担しているのと同じ 7-8人に反対されるうちにやるのが仕事 他のライバルを潰すのではなく、育てる
- p155 昔は地銀にお金を集めておけば地域内企業に投融資されそれが金利として預金にプラスされていたが、いまは機能しなくなっている
- p157 地域経済構造 内閣府 RESAS
- 中村良平 まちづくり構造改革
- p161 ファンの増加と、具体的なアクションのセットが必要
- p165 二宮尊徳 報徳仕法 道徳と経済の両立が重視される
- p173 「やったことのないことはできない」という幻想と、「できないことは外注すればいい」という幻想が組み合わさって、いつの間にか、誰も自分の頭で考えなくなっていないでしょうか。そこにつけ込む悪質な「外の人」がだくさんいるのです
- p189 「お金がない」という人ほど「お金がかかる「事業を始めたがる
- p202 先を行く地域の人は圧倒的に未来の話をする
- p235 まちを変えるのは常に百人の合意より、一人の覚悟
- p242 宮崎駿 大事なことは、だいたい面倒くさい
- p5 薬物依存 20-30代 そして忘れてならないのは、人生早期より気分を変える物質を必要とした背景には、しばしば過酷な生育歴が存在するということだ
- p17 人は裏切るけど、シンナーは俺を裏切らない
- p20 人は裏切るが、クスリは裏切らない アディクション臨床で、これと同じ言葉を何人もの患者から聞かされた
- 彼らは安心して人に依存できない人たち、あるいは、心にぽっかりと口を開けた穴を、人とのつながりではなく、クスリという物で埋めようとする人たちだ
- p29 覚醒剤依存症患者より、クスリのやめ方を教えてほしいといわれた
- p35 自助グループの2つの効果 過去と未来の自分と出会うことができる
- p36 自助グループで一番大切にされるのは、初めてmeetingにやってきた新しい仲間 (過去の自分)
- p37 人生において最も悲惨なことは、ひどい目に合うことではありません。一人で苦しむことです
- p39 依存症は、道徳心の欠如や意志の弱さのせいではない。病気なのだ。最初に唱えたのは意志でなく、自助グループを立ち上げた当事者
- p42 どこかに「このままではだめだ」「もう少しマシな人生を送りたい」という気持ちが存在するからだ。その部分ーそのわずかな心の隙間ーにどうやって自分の足先を突っ込み、相手のドアを開けさせるか
- p52 たとえば入院などして安全な環境に身を置くと、その安堵感のせいか気が緩み、心の別室の扉が開き、記憶の解凍が始まってしまうのだ。
- どう考えても心的外傷後ストレス障害の症状、すわんわち、トラウマ記憶のフラッシュバックだった
- トラウマ記憶のフラッシュバックが引き起こす心の痛みを紛らわせる方法が、少なくともあの時点ではそれしかなかったからではないのか
- p55 あの患者のおかげで、私はアディクションに関してこれまでとは違う2つの視点を持つことができた。一つは、トラウマ体験が引き起こす深刻な影響であった。もう一つは薬物依存の本質は「快感」ではなく、「苦痛」であるという認識だった
- 薬物依存症患者は、薬物が引き起こす、それこそめくるめく「快感」が忘れられないがゆえに薬物を手放せない(=正の強化)のではない。その薬物が、これまでずっと自分を苛んできた「苦痛」を一時的に消してくれるがゆえ、薬物を手放せないのだ(=負の強化)
- p71 少年鑑別所や少年院の子ども そのような環境を生き延びるには、リストカットや薬物の乱用によって自身の心の痛みを麻痺させるしかなかったような気がする。しかし、そのようにして自身の心の痛みに鈍感になるなかで、いつしか他人の痛みにもどんかんとなり、共感性が損なわれていってしまうように思われた
- ただ「聞くこと」だけでも拒絶的な硬い態度がやわらぎ、好ましい方向に変化する子どもも少なくなかった
- たとえ過酷なトラウマ体験に関する質問をした場合でさえ、子どもたちの話を信じる態度で傾聴し、「とても大変だったね」「本当によく生き延びたね」「あなたは悪くない」というありきたりな言葉かけだけでも、彼らは顔を上げ、少しだけ目に光が灯るのだ
- p73 安心できない場所では自傷行為さえできない
- p74 暴力は自然発生するのではなく、他者から学ぶものである
- なぜ、一部の人はコミュニティの規範を軽視し、それを逸脱するのか。その答えはあまりにも明瞭ではないか。それは、その人がコミュニティに対する信頼感を抱けていないからだ。
- p112 次回の診療予約をとること自体に治療的な意味があり、予約の有無こそが生ける人と死せる人とを隔てるものなのだ
- p118 覚醒剤依存症患者のなかにはワーカホリックといってもよいほどの働き者が意外に多いのだ。そういった人たちは、週末の夜にハイになるために覚せい剤を使うのではなく、平日の日中にルーティンをこなすために使う
- p122 断言しておきたい。もっとも人を粗暴にする薬物はアルコールだ
- アルコールが人と楽しい時間を過ごすための薬物だとすれば、覚醒剤は自分の世界に引きこもり、孤独に没頭するための薬物なのだ
- p124 人間は薬物を使う動物である
- p131 最近つくづく思うことがある。それは、この世にはよい薬物も悪い薬物もなく、あるのは薬物のよい使い方と悪い使い方だけである
- p156 精神科 煎じ詰めれば3つしかない 泣き言と戯言と寝言
- うつ病や双極性障害のうつ状態を泣き言、統合失調症や双極性障害の躁状態を戯言、せん妄などの意識障害を寝言
- p175 我が国の精神科医療 ドリフ外来 つまり夜眠れるか、飯食べているか?、歯磨いたか?、じゃまた来週
といったやり取りで、次々に患者を診察室に呼び込み、追っ払う
- p178 ベンゾ依存症患者は、快感を求めて薬物を乱用しているのではなく、あくまでも苦痛の緩和をもとめて薬物を乱用している
- p190 そのときようやく気づいたのは、ご婦人の「手のかからなさ」とは、実は援助希求性の乏しさや、人間一般に対する信頼感、期待感のなさと表裏一体のものであった、ということだった。彼女もまた人に依存できない人だったのだ。そのような患者が、治療経過のなかで予期せぬネガティブな出来事の遭遇し、あるいは精神的危機に瀕すれば、どうなるのか。無力感を否認し、まやかしのセルフコントロール感を維持するために、手元にある藁にしがみつくのは容易に想像がつく。彼女の場合、その藁がベンゾだったのだろう
- 白衣を着た売人
- p205 やっぱり最後にたどり着くのは、世界最古にして最悪の薬物、アルコールなんだな
- p211 作家ジョハンハリは、TEDトークのなかで、「アディクションの反対語は、しらふでなく、コネクション(つながり)と主張している。
- p211 ネズミの楽園 楽園ネズミと植民地ネズミ 楽園ネズミはモルヒネ水に目もくれず、ふつうの水をのみながら他のネズミとじゃれあう 植民地ネズミはモルヒネ依存症になるが、楽園に移すと、楽園ネズミと交流し、一緒に遊び、ふつうの水を飲み始める
- p54 監督の仕事ってのは、選手のクビを切ることだ
- p97 別に嫌われたっていいさ。俺のことを何か言う奴がいたとしても、俺はそいつのことを知らないんだ
- p122 福留は直感的にわかっていた。落合は好きだとか嫌いだとか、そうした物差しの埒外で生きている人間だ。感情を持ち込んでも意味がないのだ。その割り切りが落合の言葉に耳を傾けさせ、技術追求への純度を高めた
- p123 落合が影響を受けたバッター 土肥健ニ
- p128 この世界、好きとか嫌いを持ち込んだら、損をするだけだよ
- p139 福留は落合を鏡にしているのだ。日々、自分のバッティングに起こる変化を正確に映し出してくれる2つの眼 そこに情はない。あれば鏡は曇るだけだ
- p151 スポーツは強いものが勝つんじゃない。勝った者が強いんだ
- p167 お前がテストで答案用紙の答えを書くだろう?もし、それが間違っていたとしても、正解だと思うからかくんだろ?それと同じだ
- p180 ただ球界には、伏兵の挙げた点では勝負は決まらないという言葉がある
- p202 勝つために、その他一切を捨て去る。森は落合の下で、そういう野球をやってきた。だからここまで辿り着けた、とも言える
- p228 でもな、負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてきた選手でも、ある意味切り捨てる非常さが必要だったんんだ
- p229 監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員がのっている船を目指す港に到着させなきゃならないんだ。誰か一人のために、その船を鎮めるわけにはいかないんだ。そういえば、わかるだろ
- p246 落合はいつも、正義と決めれたことと、悪とみなされていることの狭間に石を投げ込み、波紋を広げるからだ
- p320 スクープをものにできるのは、疑り深い奴だけだ
- p427 人は自分が理解できない物事を怖れ、遠ざけるものだ
- p433 心配するな。俺はお前が好きだから試合に使っているわけじゃない。俺は好き嫌いで選手を見ていない
- p438 落合はリスクや不確実性をゲームから取り除いた。それが勝つために最も合理的な方法だと考えたからだ
- p441 監督はさ、心は技術で補えるっていうんだよ。不安になるっっていうことは技術が足りないんだって。それはつまり、俺にもとの一にもどれって言っているのかな
- 千利休の言葉 一より習い十を知り、十からかえるともとのその一っていうのがある
- 次点の五冊
- p51 今の県は明治時代にいろいろ変更の末にきまったもので、それ以前に1000年以上続いていた旧国(武蔵国、相模国など)のほうが、意外にいまでも実態を伴っています
- p53 東京は氷川神社が多い その本社はさいたま市の大宮にある 大宮という地名は、出雲の国の大社と対になるもので、祭神はどちらも大国主命
- p56 循環参照 群衆が騒いでいるから、この機会に視聴率を稼ごうと番組を増やす。群衆もテレビに煽られてますます騒ぐ
- 情報や物体が相互に参照しろと言い合ってループ状になり、答えがでない状態のこと、ここを参照しろといわれたさきには、別を参照しろと支持があり、いつまでたってもゴールにたどり着けない
- p66 理由は一つでなく複合している。その中の有力な一つが、人や建物が密集しているほど、感染の危険が高まる
- p71 欧米経由のウイルスは、もともとは中国起源で同じですが、DNAが少々変異しています。その中にも、鴎友経由、米国東海岸経由、米国西海岸経由と3種あるようですね
- p78 人間が共同主観のみで動く、「皆が怖がるものだけを怖がる」 間主観、相互主観
フッサールが提唱。「正しい」と皆が思っていることは、皆が「正しい」と認めているから正しいに過ぎないという考え方
- p103 自給自足、物々交換、恩送り
- p112 ここからは、ドイツやスイスのように地域内でお金を回せる田舎と、日本の多くがそうであるように回せない田舎とで、差がついてくるのです
- p150 戦後の大都市の急成長で一番儲けたのは都会の家主です
- p201 マスコミと一般人が、お互いに循環参照して、共同作業で思い込みを強めあっている
- 「事実に関心はない、自分と同じ意見が語られるのを聞きたい」という人が多いわけです
- p202 必ず100人に一人くらいは、「なぜ藻谷は自分の意見をおしつけるのか」と起こる人がいます。さんざん数字をみせて、そこから見える事実を説明しているのですが、まあ要するにその事実が、その人自身の思い込みと合わないわけです。彼らは、「自分の思い込みがすべて」という世界に生きていてい、数字の示す客観的事実には最初から興味がない
- 思い込みは大衆社会の「神」なのです
- p203 部分最適でしか考えず、手段と目的が転倒するという、日本人の繰り返すお家芸ですね
- p212 今回わかったのは「過密自体がリスク」ということ、「たくさん人がいればいるほど実はシステムが機能しなくなってしまう」ということ。前者を裏返せば、田舎を「過疎」だというのは過密の東京からの偏見で、田舎こそ「適疎」だったのです。後者はようするに、東京はもう「船頭多くして船山に登る」だということですね
- p241 「何かが変わったから、自分が変わるなんてことはありません。ですがしかし、あなたが自分を変えれば、それはあなたにとっては明確な変化です」
- p12 紙で戦えているうちに、会社にまだ余力がのこっているうちにデジタルで勝負できる道筋をつくる。それが俺の仕事だと思っています 新谷学
- p43 東銀座 金春湯
- p53 花田 鬼平犯科帳のタイトルをつくる
- p69 佐佐木茂索 会社が苦しいときに手を差し伸べてくれた大倉喜七郎と小林一三と凸版印刷への恩義は忘れるな
- p81 少しでも暇があったら人に会え、人の網をつくれ。いつかきっと役に立つ
- 一日に5人、初対面の人にあって取材するかインタビューしろ。雑談でもいい
- p388 田中健五 お前の骸骨には貧弱な脳味噌が一個しか入っていない。外に出て、10人の優秀な人達に会ってこい。そうすれば素晴らしい脳味噌が10個増えることになる。これをやらないと編集者は生きられないよ
- p481 花田さんにお会いして、やっぱり出る杭は打たれるんですかねとこぼしたら、何言ってるんだ、新谷。出過ぎた杭はうたれないぞといわれて、さすがだなと
- p489 当時、有料課金サイトで成功を収めているニュースメディアは日経電子版と、ニュースピックス
- p500 文春オンラインは3つの壁を超えた 時間の壁、量の壁、世代の壁
- p61 子どものかけられるお金 1994年と2018年では後者が3-5万減っている
- p67 1975年の国公立授業料 3.6万 1986年 25万
- 2020年 文系 53万 理系 80万
- p78 小4くらいの時点で毎月5万の受講料がかかる中学受験専門塾に通えるかどうかで、その後の人生ルートがある程度きまってしまう。 親の所得が子ども世代に影響し、格差が再生産されている状況
- p85 学校で学んだことを一切忘れてしまったときに、なお残っているもの、それこそ教育だ アインシュタイン
- p123 生まれ故郷の土地に、ライフステージに応じた場がない 生活の糧を得るための仕事の場、自分のこどもを通わせたい教育の場、地域のコミュニティを感じられる場、日用品を不便なく購入できる場、いざというときかかれる医療の場
- p125 代替が難しいのが教育と医療
- p137 大きな2つの変化 移動の自由、通信手段の自由
- p140 一生この土地にいるつもりはないという人々が多数派になったとき、地域コミュニティの維持は難しくなる
- 地域のトラブルは近所付き合いの中で解決してきたものが、いまや一足飛びに区役所や町役場にクレームが押し寄せる
- p143 住宅すごろくゲームが成り立たなくなった地域コミュニティでは、従来型の地元意識と新しい移住者のコミュニティ意識の希薄さの間に大きな溝が発生している
- p149 教育と年収、地価は密接に結びついている
- p150 ボランティアや地域活動というのは、助ける余裕がある人と助けを必要とする人の両者がいて成り立つ
- p151 イギリスのかつてのコミュニティ開発の失敗
- ロンドン郊外 コミュニティ活性化地域 貧困から抜け出し、就職して経済的余裕ができた人、つまり自ら助ける余裕がある人になれた瞬間、その人々はその地域から次々と脱出していった
- p152 自己責任論がつくる階級社会 貧富の格差が長期化、固定化、鮮烈化している
- p156 マイホームあってのパラサイトシングル
- p159 2000年頃に成人し、非正規雇用で人生をスタートし、そのまま不安定な生活を続けていた世代が、2021年現在、子を持つ親の年齢になっている
- p163 本書では、その格差が長期化、固定化され、かつ世代を超えて受け継がれ、階級社会化することを問題視したいのです
- 家族消費から個人消費へ
- p5 これまであたりまえのように続けてきたやにかをやめると決め、行動を根本的に変えていく
- やめるという選択をすると、新しい自分と出会える
- p23 どんなことも実際に行動した人間しか気づけないことがあるのではないか
- p24 自らの過去の体験の延長線でしか、ものごとをかんがえられなくなる
- とにかく忘れづらく捨てにくいのが過去の成功体験
- 大切なのはこれからどうするか
- p26 過去の成功体験にとらわれていると、根本的な変化のときですら自分を変えることができない
- p29 大切なのは、自らが判断して、体験し、自分自身で鮮度と品質をみ見極めること
- p36 埋没コストとは経済学の概念で、「ある経済行為(投資、生産、消費など)に支出した固定費のうち、どんな意思決定(中止、撤退、白紙化など)をしても回収できない費用」を指します」
- p39 使っていないのに捨てられないものもまた、人生の埋没コスト
- p52 過去にどれだけいいことがあっても、いま現在、心がときめなければ、それはいつの間にか埋没コストになっている
- p72 言葉は人をつくるといわれるほど、とても強力な力をもっている
- p75 いくら過去の成功体験があったとしても、時代が変わり否応なく変化にさらされているときには、根本的な価値観を変えていく必要がある
- p76 our industry does not respect tradition, it only respects innovation わたしたちIT業界では、伝統は尊重されません。イノベーションだけが尊重されるのです
- p77 不安に襲われたときは、コントロールできる重要なことに集中しよう
- p134 過去がいまの自由を奪う
- 埋没コストは、基本的に過去の話。そして過去というのは、成功体験であれ失敗体験であれ、それに固執した途端にいまの自分を強く限定してしまいます
- p180 大切なのは自分なりの結果や成果であり、それらを出せなくなった成功体験は、きっぱりと捨て去ったほうがいい
- プロセスを重視しすぎてしまうと、手段が目的化してしまう
- p181 まわりの状況は日々刻々と変わるため、これでうまくいったやり方や、そこから生じた成功体験にしがみついていると、結果が出せなくなる
- p193 やって失敗して後悔するのではなく、失敗したら反省すればいい
- p213 たとえ世界的に認められようが、他者のものさしではなく、あくまで自分がありたいと思うかたちに近づくために努力すればいい
- 働くのはありたい自分になるための手段
- p50 大切なのは、課題の本質であるセンターピンを見抜くことだ
- p67 三木谷は大義という言葉をよく使った
- p68 俺が知りたいのはお前のアイデアではない。なぜ、この課題がいまでも存在するのかということだ。お前が考えていることなんて、すでに何万人が考えている。それなのに、なぜ今もその課題が解決されずにいるのか。業界の構造や歴史を徹底的に要素分解しろ
- p72 経営者というのは、決断の量とスピードで大体きまります
- 人間が意思決定する際にはアクセルとブレーキがあると思うんだけれど、実業家って、ブレーキがこわれていることが多い。頑張ればいけるんじゃないの、と。あとはしつこい。勝つまでやり続けるから 何回倒れてもあきらめない。だから失敗は失敗でなくて経験になるんです。それが実業家の資質というか、一つの要件かもしれないですね
- p144 宇野康秀 自分は部下とたくさん飲みにいって、信頼関係を構築しているつもりだった。だが業績が下がった瞬間に社員は辞めていく。それまでの努力はほとんど意味がない。だから、経営者は業績を伸ばすこと以外は考えないほうがいい
- p243成長する会社と停滞する会社の決定的な3つの違い
- 変化への柔軟性、生産性の高さ、会社に明確な理念があること
- p252 100年続く会社になるより、100回変わる会社になる
- p255 同質化が一番のリスク。これからも、変わり続け、学び続ける。新しい価値は、問を立て、やり抜くことからしか生まれない
- p268 かつて松下幸之助が行ったように、「成功する人は、あきらめない人」なのだとすれば、そして、あきらめるまで自分を奮い立たせるものが、「内なる問い」なのだとすれば、やはり「内なる問い」と「外向きの問い」が一致している必要がある
- p269 問いとは、決して新しく生み出すものではない。自分のなかにすでに存在するのだ。
- 生み出すのではなく、解き放つ
- 2020 2020年の5冊 - 文献斜め読み2
- 2019 2019年の5冊 - 文献斜め読み2
- 2018 2018年の5冊 - 文献斜め読み2
- 2017 2017年の5冊 - 文献斜め読み2
- 2016 2016年の5冊 - 文献斜め読み2
- 2015 2015年の10冊-1 - 文献斜め読み2, 2015年の10冊-2 - 文献斜め読み2
- 2014 2014年の10冊-1 - 文献斜め読み2, 2014年の10冊-2 - 文献斜め読み2
- 2013 2013年の10冊-1 - 文献斜め読み2, 2013年の10冊-2 - 文献斜め読み2
- 2012 2012年の10冊-1 - 文献斜め読み2, 2012年の10冊-2 - 文献斜め読み2