なぜオピオイド鎮静薬依存症に陥るのか

松本俊彦:なぜオピオイド鎮静薬依存症に陥るのか 臨床の立場から。ペインクリニック、39:1570-1578,2018

  • むしろわれわれが注目すべきなのは、かくも深刻な飽きっぽさを抱えているにもかかわらず、一部の限られた人たちだけが、いつまでも倦むことなくある特定の薬物を使い続けるはなぜなのか、つまり、なぜある人だけが依存症になるのか
  • 1978 Bruce Alexander ネズミの楽園実験  植民地ネズミと楽園ネズミ
  • 植民地ネズミの多くが、孤独な檻の中で頻繁かつ大量のモルヒネを摂取しては、日がな一日酩酊していた
  • どうやらネズミにとって仲間との相互交流は麻薬などよりはるかに魅力的な楽しみであり、同時に、モルヒネの薬理作用で心身の活動性が鈍り、仲間との相互交流の妨げになることを嫌った可能性がある
  • すなわち、自分の置かれた状況が、あたかも「狭苦しい檻」のように、孤独で不自由を感じている人の方が、「楽園」と感じている人よりも薬物依存症になりやすいということ、いいかえれば、薬物依存症の原因は人と薬物でもなく、その人が置かれた環境・状況にあるという可能性である
  • 正の強化はすぐ馴化する
  • なぜ一部の者だけがその薬物摂取を飽くことな繰り返すのか。おそらくそれは、その行動によって快感が得られるのではなく、苦痛(それまで続いてきた悩みや痛み、苦しみ)が一時的に緩和される(=負の強化)からではなかろうか
  • まさにこの負の強化こそが薬物依存症の本質
  • 止め続けることがかくも難しい理由は、薬物が、すくなくとも一時的に患者の苦痛を緩和する「心の松葉杖」として機能してきたからである
  • その意味では、依存症治療にあたって最も必要な情報とは、薬物使用が引き起こした結果ではなく、その薬物が果たしてきた機能に関するものである
  • 必要なのは、「その薬物があなたに何を与えてくれたのか」という質問をし、「心の松葉杖」としてどのような機能を果たしてきたのかという情報である
  • 1980年代 Khantzianらによって提唱された自己治療仮説
    • 治療仮設は、依存症の本質を「快感の追求」ではなく「心理的苦痛の緩和」と捉える理論であり、「薬物依存症者は、薬物使用を開始する以前より心理的苦痛を抱えている」ことを想定している
    • 自己治療仮説が興味深いのは、心理的苦痛の性質と乱用薬物との関係に言及している点
    • 激しい怒りを鎮めるには麻薬や大量のアルコール、気分の落ち込みや意欲の低下、過酷な労働による疲労には覚醒剤やコカイン、対人場面での緊張や不安に悩む人には睡眠薬や少量ー中等量のアルコール
    • 要するに、薬物依存者は、それぞれが抱えている「苦痛」を緩和するのに役立つ薬理作用を持つ薬物を選択している
    • Khantzianらは、「その人が抱える問題の性質と薬物の薬理作用とのマッチング」という、さらに一歩踏み込んだ軸を追加した
  • Khantzian 長く続く苦痛しかもたらさない薬物摂取行動でさえも、基底に存在する苦痛の緩和に役立っている可能性があると指摘している
  • Dodes 嗜癖は人生早期から障害にわたって心を蝕む無力感に根ざしたものである。長期間持続する感情状態は自己感覚をを損傷するが、嗜癖はその人が抱える無力感を反転させ、パワーとコントロールの感覚を再確立することで、一時的に好ましく感じる自己感覚をもたらすことがある
  • Khanzian 依存性者は薬物によって感情の量と質を変えている。彼らは、自分には理解できない不快感を、自分がよく理解している薬物が引き起こす不快感へと置き換えることで、「コントロールできない苦痛」を、「コントロールできる苦痛」への変えている
  • 薬物依存症者とは、独力で苦痛や苦悩をコントロールすることに執着している人たちである
  • 苦痛は減圧されないまま意識下に抑圧され、その蓄積が極度の内的緊張を生み出すとともに、長期的には感情調節障害を準備する。このような内的緊張状態にあるものは、薬物がもたらす苦痛の緩和効果を自覚しやすく、「報酬」としての効果も大きい
  • 薬物依存症者の援助希求の乏しさ alexithymiaだけでなく、他者一般に対する強い不信感
  • 薬物依存症の決まって口にする言葉 人は必ず裏切るが、クスリは私を裏切らない
  • いささか皮肉な表現であるけれども、依存性者とは、「安心して人に依存することができない人たち」であるといえるかもしれない
  • 薬物依存症者になるのは、けっして快楽を貪ったからではない
  • 何らかの苦痛が存在し、誰も信じられず、頼ることもできない世界の中で、「これさえあれば、何があっても自分は独力で対処できる」という嘘の万能感で自分を騙し続けたこと、あるいは、本来はもっと早く周囲の人間に愚痴り、相談し、助けをもとめるべきところを、「私は元気」「私はまだ大丈夫」と自分の心の木津付きから目をそらし続けたことである。筆者には、それこそが薬物依存症の基底にある病因であるように思えてならない
  • 薬物依存症の根っこにあるのは、安心して人に依存できない心である
  • 依存症からの回復には、回復しやすい環境が必要である。そして、その環境とは、安心して「オピオイド鎮静薬を飲みすぎてしまう「と発言できる治療関係、それはつまり、そのような自身の失敗を語っても、見捨てられたり、叱責されたり、恥辱的な体験をしたり、治療から排除されたりせず、むしろそういった発言を回復の第一歩とみなし、応援してもらえる主治医との治療関係である