心療内科における身体症状の位置づけ

水野泰行 心療内科における身体症状の位置づけ 心身医 2019;59:539-543

  • 患者は多次元のコミュニケーションを取ることが多く、表面的な要望だけでなく深層のニーズにも応えなけれが治療関係の構築は困難である。医師には過剰な訴えや要求をする患者に陰性感情を抱く恐れがあることを自覚した上で、判断や感情を自制する力が必要である
  • DSM-4からDSM-5に改訂されて、従来の身体表現性障害と身体症状のある心気症と合わせた身体症状症(somatic symptom disorder;SSD)という新しい診断名が提唱された
  • これは身体症状そのものよりも、それに対する過剰な考えや感情、行動といった反応に重きを置いているところに特徴がある
  • さらに従来の身体表現性障害では医学的に説明不能であることが強調されていたが、SSDでは症状が医学的、つまり身体症状として説明可能かどうか問われない
  • 本症例を通じて学ぶべきは、表面的な患者の発言が本当ののぞみとは限らないということである
  • 患者は症状に関連して、原因や予後がわからないことへの不安や自分の症状を真剣に取り合ってもらえないことへの不満、症状によって失われた活動や自信への喪失感などさまざまな思いを抱いている
  • しかし患者の訴えは殆どの場合症状や検査、治療など、社会的・文化的に患者が医者へ訴えるべきものという枠組みに規定される
  • そのため患者の本当のニーズが、安心したい、つらさをうけとめてもらいたい、症状の存在を信じてもらいたいなどといった精神的な苦痛の緩和にあっても、はじめからそれが表に出ることはまれである
  • 治療者がこういった背景を理解して意識していなければ、表層的な訴えだけに対応してしまい深層にある真のニーズを見逃してしまう。
  • 一方患者がこのような多次元のコミュニケーションをとるものだと理解して、患者の発言内容だけでなく声や表情などの準言語・非言語的コミュニケーションを酌み取り対応することで、真の効果的な治療関係が築けるのである
  • 治療者にとって共感が難しいほどの極端な感情や行動を表す患者に対しては、よほど気をつけていなければ患者の言動を軽んじてしまったりする危険がある。それは治療者も人間である異常避けられないことであるから、常に自分を俯瞰する目を持ち、治療者として望ましくない考えや感情を抱いてしまう可能性を自認し制御することが医師のプロフェッショナリズムであり、心療内科における治療的自己と置き換えることができるであろう