痛みの人間学

痛みの人間学

  • 著者の個人的な印象ではあるが、痛みの治療を受ける側にも、治療を行う側にも、さらに、現在痛くない人たちにとっても、痛みに対する認識に若干の誤解があるようにおもわれてならない。
    • その誤りの第一は痛みがあまりにも身体的な感覚の問題として処理されすぎており、心理的、精神的、さらには社会的な因子が看過されている点である。
    • 誤りの第二は、痛みは生体が正常に維持されるための生体な警報であることが強調されすぎたあまり、痛みそれ自体、仕方のない、耐えるほかないものだと考えられている点である
    • 第三の誤りは、痛みの背景には原因があり、その原因は、すべて、現在の最新医学の知識により解明されており、治療可能であると思われている点である
    • 第四の誤りは、痛みの止めの薬、あるいは痛み止めの治療手段は、ただ単に痛みの止めるだけのもので、かえって体に毒であると考えられている点である
    • 第五の誤りは、痛み部分を支配している神経を麻痺させてやれば、その領域の痛みは、すべて消失してしまうと考えられている点である
    • 第六の誤りは、現在痛くない人たちは、自分は痛みと関係ないとおもって生活している点である。
  • おとなの顔を、痛みを知っている顔である。痛みに耐えぬいてきた顔であり、痛みを克服してきた顔でもある。
  • 痛いという表現の裏には、本人にしかわからない、しかも他人には絶対公言できないその人の歴史があり、環境がかくされている。その事実をときほぐし、その核に近づくことが、いかに治療する側にとってたいせつであるかが、容易に理解できると思う。

コメント 1983年刊。この時点ですでに6つの誤りの指摘は至言。