難治性疼痛患者の真の回復について考える

平林万紀彦 難治性疼痛患者の真の回復について考える 日本運動器疼痛学会誌 2019;11:233-242

  • 慢性疼痛に治療目標を設定することは極めて重要だが、具体的なゴール像を患者yと共有するのは簡単ではない
  • ひとつには、痛みは患者本人にしかわからない体験であり、且つ神経系を介するシグナルであると同時に情動や認知的情報でもあるなど非常に複雑な性質を持つので、この曖昧なものを評価するという難しさがある
  • また”患者が望む目標”と”医療者が妥当と考える目標”がそもそも違うことも少なくない
  • そして、現実に患者にとって望ましい回復像は前2者とも違う場合もあり、これらを一致させる難しさもある
  • さらに、つい混同されやすいが、疾患そのものの完治を意味する”治癒”、症状がなくなる状態を指す”寛解”、症状が有りながらも得られる”回復(リカバリー)”は、各々の理念が異なり医療者によって目指す状態像が違うことがある
  • 慢性疼痛患者は何に苦悩しているか
    • 痛みはいつまで私につきまとうのだろう」と一日を通して痛みに注意が向きやすく、「このままじゃ苦しくて仕方ないけどうまくいかなくていらいらして焦る」と不安や抑うつを認め、「いつまでも薬を飲み続けなくてはけないのだろう」と治療や治療者への抵抗も生まれ、「なんでこんあことになってしまったのだろうと考えると悲しい」と今の自分を受け入れられずに苦しむ様が述べられる
  • -痛みがあること、あるいは悪化してしまうことを嫌いすぎて苦悩が増していることがここかれ見えてくる。痛みの原因がわからないときや、治りが悪くて困ったときによく使用される”心因性””非器質性””心理社会的”疼痛はこの病態を指している
    • そして、患者の苦悩はどのように強まるかを整理すると、その患者の性格や認知的傾向を背景に、どの程度の身体的問題に対しどのような治療関係の中で処置を受け、生活上の困難と対峙し苦悩してきたかを知る必要がある
  • 本人にとっては痛みはあってはならないものであり、理想を求める強さと現実を受け入れられない弱さが相容れず苦しさが増していた
  • 自分にとって痛みがどんな存在で、その痛みにどう向き合うか」によって痛みストレスの程度は大きく異る
  • 森田療法ではこのプロセスで生じる悪循環を次のように取られる
  • -痛みがあることを案じ、痛みにひどく怯えることで痛みに注意が向き過敏になり、さらに痛みが辛いものとなるため益々痛みに注意が向きやすくなる(精神交互作用)
  • -痛みは有害でやっかいなものだからあんとしても除去すべきだと知性でもってコントロールしようとし過ぎて、そこに不可能を可能にしようとする葛藤が生じることで益々痛みが苦しいものになる(思想の矛盾)
  • このような慢性疼痛患者に生じやすい心理的な悪循環を”とらわれの機制”とよぶ

欲に任せて理想を多く求めるほど苦しさも増している

  • 回復とは、病気の始まり以前の状態に戻ること、故障は回復されるべき、と嘗ては考えられていた。これは難治性と診断された患者に深い絶望をもたらすものだった
  • そこで、慢性疾患の当事者たちは反発し、「たとえ症状や障害が続いても、人生の新しい意味や目的を見出し、希望を抱き、充実した人生を生きていくプロセスこそ真の回復である」と再定義した経緯がある
  • 現在、慢性疼痛治療では、痛みだけでなくADLの改善を目標におく概念が広がりつつあるが、難治性あるいは高齢の患者にとってはこの目標推進がかえって負担となり苦痛をましてしまう場合もある
  • 当事者中心のアウトカムとして、自覚的苦痛の改善や自尊心・生きがいの回復という本人にとって当たり前に大事な概念を治療目標に取り入れる必要がある
  • 慢性疼痛患者が「この痛みを楽にしてほしい」と訴える背景には、痛みのある自分を受け入れられない苦しさもある。
  • この状態から脱却させるために、痛みが主観的であるなら回復も主観的なものであることを我々医療者は知っておきたい
  • 疾病モデルベースで痛みの原因検索や緩和に重点をおく治療には限界がある限り報われないと落胆する患者が回復を得るには患者が持つ健康な部分に焦点を当てる必要があり、森田療法はその活かし方を示す上で希少な治療手段である