平林万紀彦 高齢者における慢性痛診療 最新精神医学 2020:25(2):107-116
- 加齢に伴い心身機能が低下していくのは自然の道理であり、避けがたいことである。そのため高齢者医療では病を持ちながらも、いかに張り合いをもって生活できるかという生活を診る視点が特に重要になる
- 痛みを抱え生きることに苦悩する高齢者が自力で克服するのは酷であり、生活を立て直すには家族を含む介護者の支援が重要になる
- 高齢者の慢性疼痛診療における基本的な心構えとして、患者が望むように痛みを取り除くことをゴールにした知慮は、満足いくほどの成果が得られないことも少なくない。つまり、われわれは、”治し切る”という点で無力であるということを前提に関わる必要がある。また、高齢者の生活機能は個人差が大きいため、治療目標は患者個々に違うゴール像を提案したい。さらに、症状緩和だけでなく、患者の生活上の困りごとを具体化し、痛みがあっても張り合いを持って過ごせるように全人的に調整をし続けることがポイントとなる
- ポリファーマシーには様々な問題があるが、その中でも特に注意したいのが鎮静薬の有害事象や薬剤間の相互作用により引き起こされる過鎮静の問題である
- 「毎日、腰が痛くて仕方ありません」「なんでこんなに苦しいのか」と一日を通して痛みに注意が向きやすい状態(注意の障害)になり、「やる気も起こらず、こんなことが続くなら早く死にたいです」と絶望感から希死念慮がでる(感情の障害」ことも少なくない
- 「痛みは悪くなるばかりで、家族にも迷惑をかけられないし、もう耐えられません。この痛みさえなければよいのですが」と、”こうあれねばいけない”と先入観を持ち、現実適応しにくい思考パターン(思考の障害)を強め、今の自分や生活を受け入れられずに苦しむ、これは単に痛みが強いからでなく、痛みが悪化すること嫌いすぎて苦悩が増していることがわかる。この時、痛み強度は中等度であることも多く、これらの感情や認知は難治性疼痛患者の特徴でもある
- 「これまでの人生ではいくつもの大きな困難を乗り越えてきたが身近な痛みさえも解決できなくなったことに対する落胆」「信頼を寄せていた家族にも理解されず強まる孤立感」「無理を重ねて望んでも思うような結果がえられず傷つく自尊心」「増え続ける薬の副作用にくわえ治療者に軽視されることへの不安と不振」なども強いストレスとなり生きる喜びが失われると自死という選択肢が脳裏に過ることもある
- 「痛みはあってはならない」と確信し(思考の障害)、痛みを徹底的に排除しようとする試みがかえって苦悩を強めてしまう病態もある
- レビー障害型認知症(DLB)患者の7割程度が慢性痛を合併したとの報告がある。VaDでは6割強、ADでは4割強の合併率であり前頭葉病変によりストレス耐性が低下しやすい特徴がある
- 以上、高齢慢性痛患者の病態を評さする際には、悪性疾患の既往、発熱、直腸膀胱障害、麻痺および希死念慮などの有無を確認し重大疾患の除外を行い、運動器や神経系など疼痛に関わる身体障害の評価をした上で、痛みに訴えが強まる要因がないか、性格、気分あるいは認知機能なども把握しておくことがポイントとなる
- 痛みがありながらも”ADL”を向上させることを目標とし、生活指導や運動指導を行う場合があるが、多様な加齢性変化を認める患者が自力で取り組むのは酷であり、時として、治療者からの促しが患者にとって大きな負担となり苦悩を強めてしまう場合もある
- 敢えて活動量を落とし、生活をダウンサイジングさせたほうが主観的満足度は高まることを知っておきたい
- “患者が望む目標”と”医療者が妥当と考える目標”がそもそも違うことも少なくない
- 疾患そのものの”完治”を意味する治癒、症状がなくなる状態を指す”寛解”、症状がありながらも得られる”回復”は、各々の理念が異なり医療者によって目指す状態像が違うこともある
- 患者は、”痛みのある自分を受け入れられず”苦しんでおり、”痛みがあっても生活に張り合いを感じられる”ようになると患者は救われる。その際、治療の焦点を痛みのケアから痛みに悩む患者のケアにシフトさせる必要がある
- 筆者は、患者が痛みによりどんなことに悩まされているかを治療初期に具体的に繰り返し聴き出すようにしている
- そこで述べられる上記のような生活上の苦悩を具体化し、本人の奮闘をたたえた上で、痛みを抱える今の自分にある健康な部分や恵まれた部分を活かし、自分らしく過ごせるかどうかが回復の鍵になるというメッセージを出し、乖離した治療目標をすり合わせていく過程自体が治療的になる
- 高齢者の痛み治療とは、痛みだけでなく生活を診て、痛みの障害により失われた本人の役割や生きがいを見直し、取り戻すことで痛みの苦悩が和らいでいく過程であるといえよう