長沼六一、山本克己、秋本辰雄 痛みと攻撃性 −とくに心因性痛患者の攻撃性を中心として 精神医学 1975;17:485-492
- 患者が訴えという言語表現で痛みを相手に示すとすれば、その痛み体験の中に患者の攻撃性がひそむとき、その攻撃性は非言語的(non-verbal)な方法で表現されると考えられる。たしかに長年にわたって心因痛を訴えて医師を転々とした患者は、医師不信という形の浅在する攻撃性を、さまざまな非言語的表現でわれわれの前に示すことが多い
- 痛みの無象徴 Schmerzasymobolie
- Schilder 患者は痛みを感じていないのではない。ただ痛みと身体像が結びつかず、痛みが身体像から分離している状態なのであり、その根底には身体図式障害があるのだ
- 種々の治療に抵抗して長年にわたって持続する痛み その痛みはすでに受身的に耐えられる感覚というより、何かを意味し象徴するために、アクティブに創造されたもののようにしか見えない
- 痛みにおける象徴としての役割 by Szasz
- 第一 身体が傷つくことを反射的に避けるための信号。これこそが純粋に感覚としての痛み
- 第二 痛みという表現で他者に伝わるとき、すでにそこには、苦痛から救ってくれる他者の助けを求めたいとする何かの個人的感情が含まれるようになり、そのような感情の伝達の手段としての意味が込められるようになる
- 第三 他者の助けをもとめる手段以外のなにものでもなくなったり、また長年の病気によって本来の社会的存在価値を失ってしまった患者の、自己の存在を確立する最後の手段としての意味しかなくなっている
- pain prone patient by Engel
- 心因性疼痛症例
- 幼少期より不幸な経験を繰り返して、周囲のものとのverbal communicationがきわめて貧困
- 身体を介してのcommunicationしかない
- 一般化医師のほうは痛みを一つの感覚としてのみ判断し、それらの痛みを“あるはずのないもの”として処理してしまおうとする
- そのような医師の態度を拒絶と感じて失望。人間不信のかたまりとなる。患者たちはわれわれのところを受診してきたときにも同様の不信感、すなわち攻撃性をわれわれにむけてくるが、結局は奇妙な非言語的方法をとることになる。
- 心因痛患者の痛みはもはやその患者固有の感情表現以外の何者でもない