笠原諭 慢性腰痛心身医学的マネジメント 心身医 2010;50:1165-1170
- 腰痛 脊椎の形態異常から生物心理社会的疼痛症候群という概念でとらえようという動きが出てきている
- 同じ痛みでも、パーソナリティによって、その痛みの意味合いが違ってくる
- 痛みが激痛であればあるほど、痛みに対する反応の仕方は個人差が少ないのだが、ある程度痛みが落ち着いてきた頃にパーソナリティの影響が強く出てくる
- 完全主義で強迫性なパーソナリティの人が消失しない痛みを抱えた時、それは自分の生活に対するコントロールの喪失を意味し、不安を呼び、自己評価に脅威を憶える
- 演技的なパーソナリティの人が消失しない痛みを抱えた時、それは生き生きと魅力的で、親しみやすく、好感が持てる女性像(もしくは男性像)の喪失を意味し、自己評価に耐え難い脅威を与える。そのために不安が起こり、要求が多くなり、操作的・感情的に反応するのである
- 心気症を、異常がないという保証を求める強迫的な確認行為ととらえ、抗うつ薬としての用量よりも高用量のSSRI、あるいはclomipramine,imipramineを用いる。
- 認知行動療法
- 現在の慢性腰痛の治療における大きな問題点は、精神科医が、紹介された慢性疼痛の患者を「心因がないので、精神科治療の対象でない」と、突き返してしまうことである
- 菊地教授は、「医者からメスと薬を取ったら何が残るか。残ったものが医師の力量だ」と引用して述べている。
- 「精神科医から通電療法と薬をとったら何が残るか」、それが精神科医としての力量であり、薬の効きにくい慢性腰痛を含む慢性疼痛の治療は、「その力量を磨く絶好の場」ともとらえられはしないだろうか