水野泰行、浦川彩子、福永武彦 慢性疼痛とは 精神科 31(6):568-572, 2017
- 痛みの定義
- まず痛みは実際に損傷がなくても存在するということである
- 次に痛みは単なる感覚ではなく不快な情動体験であるというのも重要である
- つまり痛みと表現されるような感覚であっても、どのように認知するかによってそれは痛みになったりならなかったりする
- IASPの定義には注釈がついている
- 痛みは常に主観的なものなので、患者が自分の体験を痛みとみなすなら、それは痛みとして受け入れるべきである。
- 原因が身体的なものにあるとしても、痛みはいつも心理的な状態なのである
- 結局どんな痛みであれ器質的、機能的、心理的因子などが多かれ少なかれ関与しており、客観的に観察される器質的要因に比べて症状や障害の程度が強い痛みをみたとき、医療者は心理的要因の影響が大きいと判断する。
- DSM-IV 身体表現性障害の疼痛性障害のうち6ヶ月以上の病歴をもつもの
- DSM-5 身体症状症のうち疼痛が主症状のもの
- 心理的要因は前述のように程度の差はあれあらゆる痛みに関与しているという認識も徐々に浸透してきたため、疼痛を器質的なものと心理的なものに分ける意義は失われたといってもよい
- そのため、慢性疼痛には身体疾患か精神疾患かという二者択一はそぐわないのであって、個々の病態に応じて集学的に治療することが求められている
- 慢性疼痛の心理社会的因子 恐怖ー回避モデル
- 患者の病態を理解するためには病前の社会適応や生育環境の情報も重要である
- 難治性の患者には不安耐性の低さや強迫傾向、幼少時の被虐待歴、未診断の神経発達症群など精神医学的配慮が必要な患者が少なくない
- 慢性疼痛の治療
- 慢性疼痛の特に心理行動面に介入する治療では前項で述べた悪循環を意識して行う必要がある
- 症状を維持させている悪循環の構造を想定して、どこがどう変われば全体が変わりそうか(効果)、どうが変わりやすそうか(容易さ)、どこを扱えば患者が乗り気になるか(動機付け)の3つを考慮して介入の方針をたてる。
- ここさえ変われば良くなるというポイントが他者からは見えていても、痛みに認知や感情を支配されている患者にはそう思えないのは自然なことである
- 慢性疼痛の治療を行うにあたっって、意外とおろそかにされているのが心理教育である
- 身体的な痛みを認めた上で、それが中枢性感作や疼痛制御系の機能異常を経て認知や気分、判断、記憶、行動、注意といった精神活動と密接に関係しているということ、痛みだけでなく痛みに対する恐怖や不安、回避、過剰注意、自己効力感やQOLの低下といってすべてのものが病気の症状でありそれぞれが関連しているということを、患者に理解できる言葉で説明するのが重要である
- CBTの適応には治療の目標が痛みの軽減ではないことを患者が理解、納得するのが前提となる。
- 確かに痛みにばかり囚われていては、CBTの目標とする認知や行動の改善に目が向かないのであるが、だからといって痛みに心を奪われている患者にいきなりその前提だけを説明してもとうてい受け入れられるはずがない
- ただし、痛みがあっても回避が減って適切な活動量になったり、恐怖感が和らいだり、自己効力感が高まったり、痛みが気になる頻度がへってきたりすると患者は痛みも改善したと感じることが多い
- そういった事実を肝がみると患者へは、慢性疼痛は前述のように多種多様な症状を含んだ疾患であり、改善していく順序として痛みの強さは後の方であると説明したほうが、患者の受け入れもよく現実に即したないよになるのではないであろうか