生物心理社会モデルに基づいた診療の重要性に気づかされた慢性痛患者

小松修治 生物心理社会モデルに基づいた診療の重要性に気づかされた慢性痛患者との出会い ペインクリニック 2015;36(3):367-374

  • 痛みを知るにつれ、痛みは感覚であり、情動であるということを強く意識するようになった。情動をどのように取り扱うかを知らなければ、患者の痛みを知り、取り扱うことはできない。「今までもこれからも、私はあなたの支えである」という気持ちを伝えつつ、患者個々の生活や背景、思考に配慮し、NBMを実践していくことが大切であると考える契機となる症例であった
  • 患者の痛みが職場や家庭における人間関係といった心理社会的なストレスによって修飾されていたり、親の無関心や過干渉などといった養育歴が関与していたりする場合があることを話しても、ほとんどの研修医がキョトンとした顔で聞いている。コミュニケーションスキルとして傾聴という言葉を知りつつも、真の意味での傾聴とはどのようなものか知らなかったりする。患者の受診動機のほとんどが痛みと関係しているという事実がありながら、医学教育において、痛みについて考える機会が少なく、また、その背景にある人間の心理や行動について学ぶ気かが少なすぎるのではないかと感じている。多くの医師の根本にこのような教育がないのであるから、症状を頼りに器質的原因を探り、原因が見当たらなかったり、原因として不釣り合いであったりすれば、心の問題として片付けてしまいがちになるのは当然である
  • コメント 細井昌子
  • 過剰適応で自己主張困難な特性を持つ患者さんにとって、病院で定期的に休むということに心身医学的な意味あいがある場合もあるので、その認知・情動・行動の特性に興味を持ち、患者さんの行動変容を待つ姿勢があれば、新たな展開が起こる可能性があると思われます
  • 患者さんの姉に対する思いは、尊敬するとともに妬ましくもある両価的なものであり、同胞葛藤があったであろうことは考えられます。そういった時に、前述したように、妬みとともに前部帯状回が活性化すると、リハビリテーションなどで一時的に悪化した機能的な痛みと合併し、不快な痛覚体験として患者を苦しめたことも、推測されます。そういったときに失感情症(alexithymia)傾向が高い人では、そういった妬み感情と侵害受容情報とを区別できないために、コントロール不能な苦悩体験に悩まされることになるわけです。