丸田俊彦  慢性疼痛患者への精神療法的アプローチ : Mayo clinicでの経験から アディクションと家族 2010;27(2):91-93

  • 筆者 Maya clinicのpain management centerの開設にレジデントとして参加、センター長10年
  • 「医療はその一部、科学であり、その一部、神話・伝説である」と言われる
  • 70年代精神科レジデントをしていた。今でも筆者の臨床的感性を支えている所見が2つある。一つは、診療場所による患者の診断名の違いであり、2つ目は、身体的リハビリの重要性である
  • 精神科医が扱う慢性疼痛患者のほとんどは、medically unexplained chronic painであるだけでなく、厳密にはmedically and psychiatrically unexplained painであり、精神科的に説明できた疾患と考えるべきではない
  • 「患者の訴えが身体的なものである限り、いかに心理的な要素が疑われようが、身体面への手当を欠かすことはできない」
  • しいて言えば「いかにあがこうとも、器質性と心因性の区別はできない」
  • 痛みをめぐって人が起こ随意運動、すなわちオペラント(痛みを訴える、医者へ行く、薬を飲む、仕事を休むなど)を、知覚としての痛みから区別し、それを総称して痛み行動を読んで「原因の特定できない慢性疼痛の患者で、医療従事者が扱えるのは痛み行動だけである」としたのはFordyceであった。この理論が、その後、欧米において爆発的に展開した疼痛マネジメントプログラムの基盤をなしている。
  • 痛み行動は、急性の痛みの場合、主として痛み刺激それ自身により規定されるが、慢性疼痛では主として、痛み行動に対する周囲の反応によって規定されるようになる(オペラント条件づけ)。従って、痛み行動が強化される(報酬を与えられる)ような条件下では、痛み行動は増強、強化され、痛み行動に対する中立的な反応の下では、痛み行動は減少する。(行動療法)
  • 痛みをめぐる認知と行動に働きかけることによって、患者に身体的・心理的、社会的適応を高め、際限なく医療を必要とする「患者」であるkとおを乗り越えて、慢性疼痛に適応した「人」への移行を可能にする。その結果、痛みはそれ自体変化しなくても、患者bの生活・人生は大きく変わりうる。そう、認知行動療法は主張する。
  • どうしても強調しておきたいのは「投薬」という行為が持つ、医師患者関係における意味合いである。慢性の疾患では、「治す責任は医者にある」と書き換えられて、患者の依存性を高めたり、治療に対する患者側の責任性の放棄を招くことも少なくない。
  • Goldman, 慢性腰痛診断センター長
    • 「病歴も、レントゲン写真も要らない。もし、患者に医療従事者へのhostility(攻撃性、怒り)があれば、それは、間違いなく、心理的要因が強いことを示唆し、こちら側の苦労を約束するものである。
    • 慢性疼痛の悪循環 「何が起こっているかに気がつく」だけで、問題は半分解決されたといえる
  • 線維筋痛症の患者の臨床上を表した言葉で、”Not what you have, but what you are”, つまり、「線維筋痛症は、あなたの病名ではなく、あなたは何者かを語る名刺である」である。
  • 慢性疼痛をめぐり、筆者が確信をもっていえることが2つある。一つは、心と体は、われわれが考える以上に近く、切り離せないものであるということ。言葉を換えて言えば、「心因性 vs 器質性」という区分は、少なくとも慢性疼痛の臨床では意味を持たない。第二は、患者の訴えが、慢性疼痛を含めて、患者の病理だけに起因するものでないことである。(認知・)行動療法が指摘する通り、また、最近の精神分析理論が主張する通り、「随意運動は周囲からの反応や、思考内容・感情により規定される」し、「痛みという知覚を主観的にどう体験し、その体験をどう表現するかは、周囲の人的環境との相互作用によってきまる」からである。