熊谷晋一郎 痛みの哲学 日整会誌 2016;90:501-511
- 本論では、いm帯を考える上で予期(こうしたい、こうすべきという「期待」と、こうなるだろうという「予測」の2つを合わせたもの)やその破綻に注目する
- 予期の破綻に対する非適応的な対処パターンが常態化された状態として、「慢性疼痛」「アディクション」「心的外傷後ストレス障害」の3つを取り上げる
- アメリカの3学会(AAPM,APS,ASAM) 「痛み」と「アディクションとは別の診断カテゴリーでなく、互いに重なり合う疾患概念であるということを共同声明として発表している
- Weismanは、過量服薬や、早期に薬物の補充を要求するといった、一見常軌を逸したアディクションの徴候に見えるものが、実はコントロール不十分な痛みをどうにかしようとする疼痛患者の必死の試みである場合があると注意を促しており、このような状態を「偽性アディクション」と読んでいる
- アディクションになりやすい危険因子と、疼痛が慢性化する危険因子も、重なりあう部分が多い
- 薬理作用の面でも、臨床像の面でも、危険因子の面でも、アディクションと疼痛は地続きである
- 痛みとアディクションは、どちらも心的外傷ストレス傷害PTSDとも合併しやすいことが知られている
- 疼痛、アディクション、PTSDではそれぞれ、痛み行動、嗜癖行動、恐怖回避行動という非適応的な対処パターンが常態化している
- Schwabe,Wolf 総説で、ストレスの存在が、「空間記憶」や「行動学習のモード」に対して影響を与えると述べている
- ストレスはその定義上、予期を侵害する刺激や記憶、あるいは、予期を侵害する出来事の予期に対する侵害反応である。したがって、3つの病態に共通するメカニズムを考える上では、予期とその破綻に着目する必要があると推定される。
- 2種類の自己感
- 時間を超えて変わらない自己 sense of invariance
- 内蔵制御信号ー内臓感覚ー運動制御信号ー自己受容感覚ー外受容感覚というマルチモーダルな情報統合パターンによって、「時間を超えて変わらない自己」が表象される
- 時間とともに変わり続けているが、連続している自己 sense of continuity
- 「連続している自己」は、断片的なエピソード記憶を物語的なフォーマットによって統合してできる、「自伝的知識基盤(autobiographical knowledge base)」という情報構造によって表象される自伝的知識基盤
- 概念的自己とエピソード記憶
- default mode network (DMN)が自伝的知識基盤を構築保存するとともに、それを操作することでシミュレーションを走らせ、未来のシナリオやさまざまな社会的・個人的出来事を予測する
- 自己感破綻の観点から見る痛みとトラウマ
- 1神経系以外の組織に損傷や炎症があり、それが侵害受容性の神経を興奮されることで起こる侵害受容性疼痛
- 2痛覚信号を伝える神経の伝達が遮断されることで起きる侵害受容性疼痛
- 3高次の中枢神経の機能的変調によって生じ、破局化や痛み行動といった思考・行動パターンによって特徴づけられる中枢機能障害性疼痛
- 痛覚に特化した脳部位は存在せず、触覚・体性感覚に特化した脳部位の活動と、島皮質を中心としたマルチモーダルな顕在性検出ネットワーク(SN;salience network)の活動が合わさって、痛覚経験が生じるということである
- 変わらない自己のうち、内的恒常性のモニターと維持にかかわる内蔵制御信号ー内臓感覚統合からの誤差検出を担うSNの活動の大きさが、侵害受容性疼痛の主観的強度の表象していると考えられる。侵害受容性疼痛の主観的大きさとは、個体としての恒常性がどの程度揺るがされたかによって表現されている可能性がある
- PTSD研究で有名なvan der Kolkによれば、ある特定の体験がトラウマティックなものになるための条件は、身体的な無力化(physical helplessness)であるという
- PTSD患者の脳機能イメージでは新線条体の活動低下が報告されており、恒常性を揺るがすような刺激に対して適応的に行動することが難しく、S-R連合的な条件付け反応が優位になっている状況を示唆する
- こうした知見は、脅威を与えうる顕著な刺激を取得した際のSNレベルの<内蔵制御信号ー内臓感覚ー運動制御信号ー自己受容感覚―外受容感覚>統合パターンが、PTSDにおいて非適応的になっているということを示唆する
- 一部の神経障害性疼痛においては、変わらない自己のうち、<運動制御ー自己受容感覚ー視覚>の情報統合不全が注目されている
- 中枢機能障害性疼痛・PTSDと「連続している自己」の破綻
- 破局化傾向に関連した所見として、「連続している自己」の神経基盤と言われるDMNが、DMNとSNの結合パターンの異常が指摘されてきた
- トラウマに関連した精神病理におていは、過剰一般的な自伝的記憶(overgeneral memory;OGM)を持っていることがよく知られている
- OGMとは、自分の過去の具体的出来事を思い出して描写することの困難、とりわけ個別の時間と場所で起こった特定の出来事をうまく報告できない状態である
- 安全に身体感覚に注意を埋めるやり方を学ぶと、すべてがある時刻で凍りついたようなトラウマ経験と異なり、現在の身体的な経験が時々刻々変化し続けるものだということを知る。こうして過去の身体経験と現在の身体経験が分離されるようになると、トラウマ記憶が現在に侵入しにくくなるという
- 筆者の提案は、PTSDやアディクション臨床における蓄積を、痛み臨床にも活かせるのではないかというものである
- われわれは、類似した感覚運動統合様式と、類似したエピソード記憶を持った人が集まって、他社の力を借りながら、各々が自己感の再統合を目指す「当事者研究」という取り組みを行っている