菊地臣一 患者の痛みではなく、痛みを持った患者を視よ ペインクリニック 2016;37(4):515-521
- 努力できることも才能の一つだ
- 頼ってきた人間の面倒を見るなら徹底して面倒を見る
- 絶えず弟子や周囲の人間に関心を持ちそれを伝える
- その根拠は?なぜか? 常に根拠の存在を確かめさせる教育
- 腰痛の治療に固定術は必要なのか この答えは未だに完全に出ていない
- 人生の扉は他人が開く
- 自分の知識に患者さんの症状を当てはめるのが普通ではないだろうか、事実を事実として素直に受け入れることは、口で言うほど容易なことではない
- 努力できることも才能の一つであるという教えの延長が、この愚直なる継続である
- 凡庸な努力は凡庸な結果しか生まないは、わたしのような凡人には辛い格言である
- 近年のEBMは、腰痛の増悪や遷延化には、従来、われわれが認識している以上に早期から、心理社会因子が深く関与していることを明らかにした。こういう事実を前にすると、痛みを扱う医療従事者は自分が専門としている知識や技術だけでなく、画像で捉えられる器質障害と同様に、目に見えない機能障害にも目を向けて治療する必要がある
- 経験豊かな医師なら、解剖では説明のつかない非合理的な腰痛や理解不能な腰痛があることは常識である
- 柔軟性はアイディアの宝庫である
- 修行中は様々な環境に身を置いたほうがよい。
- 若いうちに多くの修羅場を踏んで決断の経験を積んでおくべきである
- 医療の科学であるEBMは平均値の検証である。しかし、医療は個人の問題である。しかも、その人間の個性、背景は各々で異なっている。ここに医療人が力を発揮してほしいアート、手当の思想が求められる。NBM(narrative-based medicine)の世界である。実際には不可能かもしれないが、医療人の患者さんに対してのone of themを患者さんの医療人に対するone and onlyに近づける努力が必要である
- 手術は最終的な問題解決にはならないということである
- 超高齢社会の今、とことん医療のcureの思想だけでは対応しきれない、ほどほどの医療のcareの思想を持つことも大切ですある