- 精神科の内部批判というものは一面では難しい。わたしのように「薬漬け」批判を行うと、どうしても精神科の一部を敵に回すことになってしまう。ただ、私は少数の同僚を敵に回すことよりも、多数のユーザーを敵に回すことの方を恐れる
- 逆に、私に言わせれば、精神科医たちがどうしてこうも、世論を敵にまわすことを恐れないかが不思議でならない。同僚などからの孤立などより、真に恐るべきことは国民全体を敵にまわし、一億の憎悪と敵意を一身に引き受けることのほうではないだろうか
- すべてのファナティックな人たちに共通することだが、なぜ、ある信条に固執するのかといえば、それはそれによって見たくない現実から目を背けることができるからである
- 薬物療法依存も、薬物依存と同じく、深刻な「否認の病」である
- レジデントに話していること
- 症状よりも生活を診ること。患者の24時間を把握すること
- 精神医学アカデミズムの生物学的なモデルに惑わされないこと
- うつ・不安・パーソナリティの生物学的モデルは完全に失敗している。生物学的モデルの弊害は病気ばかり診て人間を診ないところにある
- 患者が精神科医にできないことを要求してくることは、めずらしくない。それに対して、「できない」と返答する技術に習熟して欲しい。しばしば、患者側の「すべてを医者に丸投げ」という姿勢が、回復を妨げている
- 保険診療である以上、時間の制約があることは意識して欲しい。「時間が限られているから、今日、解決できるテーマに絞りましょう」というような言い方で、患者の方にもそれなりに緊張感をもって面接に臨んでいただかねばならない
- 診察の流れを治療者側でコントロースするためにも、テーマを限定し、オープン・クエスチョンをしないように心がける。オープンクエスチョンは、テーマを散逸させるだけであり、場合によっては侵襲的ですらある
- 若者 過去を語らせる以上に未来を語らせなければならない
- 青年期の抑うつにおいては、「自分探し」よりも「職探し」をした方が良い場合も多い
- 「個の確立」は「役割の同一化」を通して達成することができる
- 精神科医が自身の言葉の効果よりも抗うつ薬の効果に信頼を寄せるようでは、職業人としての資質が疑われるであろう
- 精神療法は努力しなければ上達しない
- 思春期における睡眠相後退と療養指導
- 人間の体内時計は、起床とともにオンとなり、その後、16ないし17時間しないとオフにならないということを患者と家族に説明する。つまり早く眠りたければ、早起きする医学方法はない。昼前に起きてきた人が、その日の夜に限って早く寝るなど不可能。
- 眠れない若者には、早起きせよ、カーテンをあけよ
- ビジネスマンのデプレッション
- 習慣飲酒者のデブレッション
- 高齢者の不眠
- 高齢者の不眠の訴えは、多くの場合早すぎる就寝が原因である。
- 高齢者の不眠の訴えは、本質は不眠でなく、みんなが眠っている時間に一人だけ起きていることの不安である
- 低侵襲精神療法としての生活習慣指導
- 何も考えないで教科書のとおりに、「傾聴」して、「支持」して、「共感」すると、しばしば、患者は見事なまでに悪化する
- 患者は精神的に納得のいかない未解決の問題を抱えているが、まずは、体調の改善と生活習慣の是正、そして心身の状態が改善してから、すこしづつ言語化を促せばよい
- 言語化が危険だとみれば、ただちに、「その話の続きは次回に」と伝える。そういった俊敏な決断力も精神科医に求められる資質である
- 低侵襲精神療法としての療養指導は、心的外傷も、幼児体験も、認知のゆがみも扱わな。ただ、生活習慣のゆがみだけを扱う
- 実際ことさら精神療法のまえに、まず寝不足をなんとかしないとどうしようもない。メンタルの前に、フィジカルを整えたほうがよくはないか。疲労困憊で憔悴しきっている人に、「さあ、それではあなたの考え方の癖を自覚しましょう」はないだろう。こころの体温計もいいけど、その前に、就寝・起床の帳簿をつけて、一週間の睡眠の収支を合わせることを考えたほうがいいだろう
- 傾聴するなら寝不足の害を説け
- メンタルの前にフィジカルを。認知のゆがみの前に、生活のゆがみを。気分の安定より、日課の安定を
- スミスは、患者・医師間の合意点を探ろうとする。まず、患者、医師の双方が、過酷な現実を認めるべきであろう。それは、「死・病・痛は生活の一部である」ということであり、「医学には限界があり、社会的問題を解決することはできないし、危険ですらある」ということである。そして、「患者は問題をすべて医者に丸投げしてはならない」し、「医者はできないことはできない」と言うべきだ