井上真輔、牛田享宏、井上雅之 運動器慢性痛の病態と学際的治療 Brain and Nerve 2012;64(11):1287-1297
- 運動器慢性痛とQOL
- 運動器の急性痛と慢性痛
- 急性痛と慢性痛では捉え方や対処方法が異なるため注意しなければならない
- 急性痛とは、生体組織を損傷しうる侵害刺激により惹起された侵害受容性疼痛であり、組織障害を回避する警告信号としての生理的な役割を果たしている。こういった急性痛の多くは、「痛み(疾病)にはかならず生物医学的な原因があり、その原因を物理的治療法で取り除けば痛み(疾病)は寛解して患者の機能障害は減少する」という生物医学モデル(biomedical model)と呼ばれる因果性を重視する概念で説明される
- 慢性痛はIASPでは「通常の外傷による軟部組織損傷であれば治癒しうると思われる3ヶ月を超えてもなお続く痛み」と定義されており、急性痛とはことなった病態と認識したほうがいい。
- 慢性的に痛みを持つ人の全員が痛みに苦しい人生を過ごしているわけではなく、むしろ多くの人は健全な社会生活や社会活動を営んでいる。つまり、同じ程度の痛みを抱えていても、痛みの捉え方は人それぞれであり、“痛みとうまく折り合いをつけている人”もいれば、一日中痛みのことが気になり、痛みのために何もできない、つらく苦しい毎日だと感じる“慢性の痛みに囚われた人”もいる-
- そのような患者は、さまざまな治療を行っても、軽減はすれどもなくならない痛みに不安、焦り、怒り、不満を感じ、痛みを完全に取り除くことに、より執着している。また、いらだちや不安で攻撃的、厭世的になり、家族や社会との関係にも支障をきたして、健全で幸せな生活を送ることが困難になる。さらには、活動性の低下や疼痛部位の不要な安静は関節の拘縮や筋の萎縮を引き起こしてますます痛みを悪化させ、つらい痛みに囚われた人生となる。そのような心理社会的な荷重が加わった慢性痛は、「痛みの原因を取り除けば痛みは消失する」というような急性痛に対する治療では解決できない
- このような慢性痛には、Geroge L Engelが1977年Scienceで提唱した、「疾病には生物学的要因、心理学的要因、社会環境が互いに影響しあっており、単独の原因に帰結できない。ゆえに患者の治療にはそのすべての要因を考慮することが不可欠である」という生物心理社会モデル(biopsychosocial model)に沿った病態把握が適している。つまり慢性痛には、痛みが長く続いたことに伴う心理作用、社会環境への影響なども勘案した総合的評価と対処が必要となる。
- 運動器慢性痛の治療方針
- 痛みを訴える患者がいれば、その痛みを完全に取り除きたいと思うのが医療者の心理であるが、現実には解消することの難しい痛みも多い。そのような難治性疼痛や慢性痛には、「痛みに思い悩んで正常な日常生活が送れない慢性痛患者」を「痛みを持っていても健全で楽しい生活を上手に送れる人」に変えるという概念が慢性痛の治療には不可欠である。そのためには、医療者も痛みを消し去ることに執着するのではなく、日常生活の活動性の向上を治療目標とすべきである
- 治療方針としては、1薬物治療や理学療法による身体局所の“疼痛の緩和”、2不要な安静から生じた廃用を解消して、活動性を向上し、動ける健康な体を作る“運動療法”、3「痛みのために何もできない」から「痛みがあっても何々はできる」というような、痛みに対する捉え方や考え方を変える“認知面からのアプローチ”、4心に焼き付いた過剰な不安・恐怖イメージなど認知の歪みや偏りを修正する為の“教育”、5規則正しい生活、家族や社会など患者を取り巻く“環境への働きかけ”が基本となる
- 長期間にわたり物理療法を受けてきた患者は、理学療法を“やってもらうもの”と受動的に捉えていることが多く、マッサージ・徒手療法の漫然とした継続は、より患者の依存性を高めてしまうため、運動習慣の導入への妨げとなる。
- 動くと痛みが生じるのではないかという恐怖感が強く、痛み局所あるいは全身を動かそうとしない(kinesiophobia)患者や、痛みのアピールや行動によって、周囲の人々との間に摩擦が生じている患者もいる。これらの患者には、痛みに関連した誤った考え方(認知)や行動を変えることを目標とするオペラント行動づけに基づいた認知行動療法や臨床心理士によるリラクゼーション、教育などが有効な治療手段となる。家族との関係が痛みを継続させる原因となっている場合には、家族に対する指導や介入を必要とすることもある