• マインドフルネスとは、「今の瞬間の現実に常に気づきを向けて、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情にとらわれないでいる心の持ち方、存在のありよう」のことで、目の前の現実を客観的に見るようにするこころの使い方のことです。
  • マインドフルネスとは、「客観視クン」を育てていく訓練
  • マインドフルネスは、外の出来事だけでなく、私的出来事に対しても、それに反応して考えたり感じたりすることにとらわれないということを意味しています
  • マインドフルネス バーリ語のSati、日本語では気づき、漢語では「念」(今ここを忘れない心)
  • マインドフルネスの狙いは、そのままにできるようになること、その結果動じなくなる
  • 1瞬間瞬間の体験に意図的に注意を向け続けること(「今ここ」と「今ここに起こっていること」に気づいていること
  • 2今の瞬間の体験に対して心を開き、好奇心をもってアクセプトする(そのままにしておく)
  • 早稲田大学の越川房子教授 「今の瞬間に気づいて、気づいたものに対して、「何も足さない、何も引かない」これがマインドフルネスだ。そうすると、結果的に思考や感情にたいして脱中心化した支店が獲得できます。
  • 症状は、なくそうとするほど悪循環に陥る、だから、「身体のことは身体に任せましょう」
  • 感じたももは感じただけ、考えたことは考えただけでとどまることが大事
  • 自己のイメージを勝手に作り上げることで苦しむのが人間
  • 外的出来事にまつまる勝手な思い込みを生成したり、勝手な自己イメージを内に生成したりしないで、感受のレベルで止めるのです
  • ラベリングすることによって、そこから先に進まなくて済むようにする
  • 余計なことが出てきたら、「雑念」「雑念」とラベリングを貼って「戻ります」
  • 呼吸→身体感覚→雑念→感情と広がっていくものなので、できるだけ呼吸に近いところで注意を止めることができれば、そのあとのものには対処する必要がなくなる
  • 貪瞋痴(どんじんち) 貪は欲、瞋は怒り、痴は無知、混乱
  • 感受にもとづいて思考が展開していく結果、生まれてくるのが貪瞋痴
  • 気づいてラベリングしたら、それ以降は追わないことを「手放す」という
  • 増殖が止まることで、短い時間ですが、欲も怒りも混乱もないような平和な心の状態が生まれていきます。それを覚えておいて、自分の心を観察しながら、欲や怒りにしがみついている心の状態と比較してみます。そうすると、やっぱりしがみつかないほうが楽だなということがわかるようになっていきます。
  • 身体のことは身体に、感受のことは感受に、心のことは心に任せるようにして手放していくと、落ちつくところに落ちついていく。我々は何も握りしめていないし(=欲が自分ではない)、誰とも戦っていないし(=怒りが自分ではない)、どこにも向かっていないんだな(=ここにいるだけでいい、「何かしなくちゃは痴のなせるわざだ)と気づくことができます。
  • 仏教では貪瞋痴の痴の対極にある心の状態を智慧と言っています。智慧とは、呼吸・感受・心に現れるすべての現象が従う法則性を深く理解することを指し、中身は無常・苦・無我の3つです。(仏教で三宝三宝印を言っているもの)
  • 無常 人生には濃淡があり、私的出来事、公的出来事のすべては常に変化していて、一過性のものだとする考え方 
  • 苦 不十分、つまり人の心は常に満足できない状態であること 
  • 無我 私的出来事、公的出来事のいずれもコントロールすることができないということ
  • 考えると考え続けることは違う。考え続けることが減った結果、あまり苦じゃなくできるようになった
  • 考え続けないようにといいながら考え続けているということで、巻き込まれている状態、思考に飲み込まれている状態
  • 嫌な気持ちになったり腹が絶ったりするのは当然だと、まずは自分の気持ちを認めてあげる。そして、嫌な気持ちをちょっと横に置いておいて、早めに片付けて帰ろうとおもってみてください。 
  • 生活の中でマインドフルネスを実現するには、心を閉じない、飲み込まれないのがポイントです。心を閉じるとは自分の中から排除すること、飲み込まれるとは、考えていることに振り回されてしまうこと、そのどちらでもないのがマインドフルネスな状態です