- 作者: 山本達郎
- 出版社/メーカー: 文光堂
- 発売日: 2016/04
- メディア: 単行本
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線維筋痛症患者が求める全人的医療とは
橋本裕子 線維筋痛症患者が求める全人的医療とは 心身医 2016;56(5):433-438
- 怒り、過去へのこだわりが治療には大きな障壁となる
- 線維筋痛症は簡単になおる疾患とはいえない上に、症状が多岐にわたり患者の言葉を理解することすら難しい。患者は不安と絶望で混乱しているので、自分の症状をうまく伝えることができない。誰にも自分の苦しみを理解されず孤立していく患者が増えているのが現状である
- 一般的には今の検査技術では治療の手がかりを見出すのが難しいからこそ、痛みに焦点をあて、患者の実存に目を向けなければ道筋が見えてこないのではないだろうか
- 線維筋痛症では死なないといわれているが、友の会約3000人中把握できただけで41名が自殺している
- どんなに、苦しんでいても、見た目は元気そうにみえる。このギャップが大変患者を苦しめる。見た目にわからない、検査にも表れない。つまり「客観的でない」ということにされる。「精神科、心療内科に行け」といわれ、頭がおかしいと扱われる
- 数年前までは患者が第一に望むものは「薬」であったが、最近は話しを聞いて欲しい、理解してほしいいに変わってきた
- 患者が「治らない病気」と思い込むことが、治療の大きな妨げとなる。また医療者も「治せない厄介な疾患」と感じていればやはり、加療に積極的でなくなる。医療者間で成功例を共有する音が必要だと思う
- 患者自身が社会生活の中で、「常態化」「pacing」、「持ちこたえ」、「身体の作り変え」を行って、痛みとの折り合いをつけている。ー静かな患者
- 患者は「もっと支えて欲しい」と訴える反面、「一人にして」、「放っておいて」という矛盾した思いを抱えている
- 「痛む人生」を治療者が受け入れてくれることが、「工夫」の一つ
- 「こじれた痛み」の場合は、実存部分からよじれていてほぐすの簡単ではない
- 解決できなくとも別の見方ができるようになることが重要
- 過去の自分への見方が変われば、「世界と自分」の中で生きる意味を見いだせる
疼痛医療における医師ー患者関係
永田勝太郎 疼痛医療における医師ー患者関係 関係性の積極的診 慢性疼痛 2014;33(1):9-17
- 患者固有の問題には、その患者に特異的な身体・心理・社会・実存的問題が潜在している。特に、身体的問題として、機能的問題の評価は現代医学の器質的病態の理解に慣れている我々医師には難しいことが多い。また、心理・社会・実存的アプローチにも慣れていない
- 疼痛医療においては、まず、信頼にうらうちされた医師ー患者関係の構築が最優先される
- 慢性疼痛は、患者固有の生き様の歪がホメオスタシスを歪め、それが疼痛となる
- 慢性疼痛の多くが機能的病態である。原稿の医学教育は器質的疾患中心であり、医師は機能的病態の診断・治療の教育を受けたことがない。
- 患者に器質的疾患が見いだせないとき、器質的疾患にこじつけたり、短絡的に心因説(精神疾患:うつ病)をとることがる。時に、機能的病態を心因的病態と誤認する
- 疼痛患者の多くに、トラウマ、すなわち、虐待歴や戦争歴が潜在している。そうした隠れた事実を患者は医師になかなか話してくれない。我々の経験では6ヶ月を要するようである
- パターナリズム 家父長主義
- 強い立場にある者が、弱い立場にある物の利益になるようにと、本人の意思に反して行動に介入・干渉することをいう
- 専門家(医師)と素人(患者)の間はこうした関係になりやすい
- 特に外科系、精神科でなりやすい
- 慢性疼痛治療における医師ー患者関係
- 全体を通じて医師はprofessionalとしての矜持を保ちながらも、患者の十分な共感を示し、tuning in(こころの琴線に触れる)してかねばならない
- 第一ステップ
- 一時的でもいいから鎮痛経験させる
- 患者のいうことをよく聴き(傾聴)、手当(疼痛局所に直接手を触れる)をしなくてはならにあ
- 医師は患者に共感しても同情や迎合はしてはならない
- 初診の患者は、長い病歴や前医への恨み辛みなどを話したがる。一度はそれを全部聴かねばならない。患者のこころにあることを完全に吐き出さねば、新しい治療関係を築くことはできない。患者は、吐き出すことで、この医師は私を受け入れてくれたと理解する
- これはカタルシスでもある
- 第2ステップ
- 生き様のひずみに気づいた患者が行動変容するように援助する
- 第3ステップ
- 痛みを予防する。患者のセルフコントロール
脳機能画像法でみる痛み
岩下成人、野坂修一、福井聖 脳機能画像法でみる痛み 脳21 2014;17(2):232-237
ペインクリニックからみた心身反応と慢性疼痛
住谷昌彦、四津有人、熊谷晋一郎 ペインクリニックからみた心身反応と慢性疼痛 トラウマティックストレス 2015;13(1):12-22
- 痛みの身体要因と心理要因は常に共存し、身体的な痛みの認知は心理因子によってさまざまに影響をうける。”疾患は何らかの組織損傷(だけ)に起因して発症する”とする考え方(生物医学還元論)では不十分であり、患者の痛みの訴えに対しては常に生物心理医学モデルに則って、個々の慢性疼痛が抱える問題点を層別化して評価する必要がある
- 生物心理医学モデル 疾患は生物学的な因子(例:組織損傷)とともに必ず心理学的および社会学的因子を含んでいる”ことを提唱する概念モデル
- 痛みの遷延化の規定因子 破局的施行(pain catasgrophizing、 反復、拡大視、救いのなさ)
- 破局的施行は痛みへの過剰なとらわれと言い換えることができる
- 痛みに対するとらわれは、”自分の身体に期待するような状態と実際の状態が異なるときに感じる、自分の身体に対する苦痛、不信感や身体の障害に対する怯え”のことで、痛みをもつ患者では痛みそのもんの自分の身体への期待・認知を歪ませることに続いて、痛みの突発性・治療抵抗性が重篤なとらわれを引き起こす
- 疼痛行動 疼痛示威行動
- 古典的pain matrixと痛みの情動関連脳ネットワーク
- 痛みの識別 S1,S2、視床
- 疼痛の情動要素 前帯状回、島葉全部
- 安静時の脳活動信号 自発性能活動ネットワーク resting state network
- 基底状態で活動する脳領域ネットワーク default mode network ; DMN
- 痛みの破局的思考
- 痛みの破局的思考の中でも痛みのことを何度でも考えてしまう反復の思考パターンは、感情の快/不快の価値判断を担う前頭前野と後部帯状回の機能的結合の強化に起因することが示されている
- 後部帯状回は、脳の基底状態の活動を示すDMNの中で中心的役割を果たす脳領域であり、線維筋痛症や身体表現性障害患者でも後部帯状回の機能的活動が変容し、痛みの破局的思考と相関することが示されている
- 侵害刺激が加えられた際の痛みの破局的思考を持つ患者の脳の活動では、後部帯状回による脳の基底的活動パターンが変容し、前頭前野による侵害刺激に伴う痛みに対する価値判断が修飾され、その結果、痛みの不快感を認知する前部帯状回の活動が暴発してしまった状態と理解することができる
- 島葉は前部が痛みの感情的側面の認知や予測の機能を担っているのに対して、後部は痛みを含む感覚的情報の強度を担っているが、線維筋痛症患者では後部帯状回と後部島葉の機能的結合が強化されており、前帯状回の機能的暴発と相まって痛みを強く感じる機序になっていると考えて矛盾はない
- 睡眠障害
- 痛みの悪循環と疼痛の重症化・痛覚過敏
- 疼痛下行性制御系の起始領域となっている中脳水道周囲灰白質機能が変容
- 扁桃中心体の活動は中脳水道周囲灰白質の運動線維への修飾作用が変調する結果、筋肉が固縮し合目的な逃避行動が遂行できなくなる
- 慢性疼痛患者では患肢だけでなく健肢の痛覚過敏が出現することがあるが、侵害刺激を受けた際の前帯状回と中脳水道周囲灰白質の機能的結合が低下していることも示されている
- 痛み関連情動脳ネットワークが中脳水道周囲灰白質の機能変調と関連していることが明らかにされている
- 中脳水道周囲灰白質を起始点とする疼痛下行性制御系は、セロトニンとノルアドレナリンを介した情報伝達により脊髄後角の侵害受容ニューロンを制御している
- 痛みの悪循環では、痛みに対する恐怖心や不安感によって痛みの回避する行動を実践する。すなわち過度な安静状態を保持するようになることが考えられており、廃用症候群や筋骨格系の機能障害を引き起こし、骨萎縮が生じる
- 治療方針
- 治療の主幹は、”機能障害に対する治療”として設定し、”機能障害に対する治療”を促進する方法として、”疼痛に特化した治療”と”心理的要因に対する治療”の2つを併用する
- 治療のゴール設定は、疼痛が十分に緩和することだけでなく、有意義な日常生活を過ごし、精神心理的な問題を持たないことに設定する必要がある
- 機能障害に対する治療 有意義な日常生活を過ごす”痛みとの付き合い方”の教育が必要
- 医療者は、患者が新しい身体機能(運動能力)を再獲得できたことを患者自身に適宜提示し、患者が自己効力感(自分の身体と問題処理能力に対する自信)を得られるように留意する
- 疼痛に特化した治療
- 医療者だけでなく患者が疼痛に特化した治療の目標を疼痛緩和だけに設定すると、患者は特異的治療法の実戦に固執し、偽治療依存(心理的高揚感を得ることを目的に薬物を摂取する依存(addiction)とは異なり、痛みから開放されることを目的に執拗に特異的治療法を求めることを偽治療依存(pseudoaddiction)と定義される)と呼ばれる病的な行動が引き起こされてしまう
- したがって、薬物療法や神経ブロック等のさまざまな疼痛治療法を実施する場合には、患者の身体機能を改善するための支持両方であると位置づけた上で最低限の機会のみ提供することを治療開始前に明示しておくべきである
- 心理要因に対する治療
第三者行為をきっかけとした神経障害性疼痛の治療反応性
山田恵子、今野弘規、磯博康、柴田政彦 第三者行為をきっかけとした神経障害性疼痛の治療反応性 ペインクリニック 2016;37(2):221-228
- 痛みのきっかけが患者のせいでなく、他人の落度による交通外傷や傷害事件などの第三者行為による場合は、患者が複雑な心理状態におかれ、治療抵抗性であることが臨床現場でしばしば実感される。欧米では、Sullivanらが、そうしたかんじゃが共通して持つ不公平感(injustice)が治療反応性に関与している可能性を報告している
- A群では不公平感(injustice) ,加害者に対する怒りの感情が強く、特に係争状態にある患者ではこれら負の感情から抜け出しにくい。こうした他者へ向けられた負の感情が痛みやこれに対する思考傾向を修飾し、ますます改善を妨げるのではないだろうか
その後の不自由
その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)
- 作者: 上岡陽江,大嶋栄子
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2010/09/01
- メディア: 単行本
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- そこそこ健康な過程に育つと私はクッションのように幾重にも守られている
- 私 父母兄弟 祖父母、いとこ 学校友達近所の人
- 依存症の女性は応援団をもっていない
- 家族のなかに緊張がある。応援団をもたずに孤立して放り出される
- 回復というのは、他人を優先したことが、「自分を真ん中にして考える」ことへと変わっていくこと
- 境界線を壊されて育つ 頼りになる奴として生きていく
- 境界線を壊された子どもは何を感じるようになるのか
- お父さんがアルコールで問題があるとか、お母さんがいつも起こっているとか、いろいろな問題があったとき、子どもは幼ければ幼いほど「自分のせいだ」と考えてしまう
- 私ががんばらなければ家族が壊れてしまう
- これだけ背負っているのだがから、私の痛みも誰かに背負って欲しい
- 一人の子どもが背負うべき責任の範囲を教えられていない
- お父さんとお母さんの問題を自分のものとして背負っているので、いつもお父さんとお母さんの痛みも感じている。そうすると、やがてそれが自分の痛みなのか、お父さんお母さんの痛みなのかがわからなくなるんです
- 日常が危険で非日常が安全なんです。さらに攻撃と密着を愛情と勘違いして教えられてしまった
- すごく寂しいと、私たちはつい相手と重なり合う”ニコイチ”の関係、つまり相手と自分がびったり重なりあって「二個でひとつ」といった関係を望んでしまいます。
- ニコイチとDVは表裏一体です
- 援助者に対してもニコイチをもとめる
- なぜ言葉でなくてすぐ行動化するのか。私は「言葉がつながっていないひとたちだから」だとおもいます。それまで、”話す”という形でコミュニケーションをとってこなかった。あるいは家族の中で「感情を表現するような言語」が使われてこなかったからです。
- 援助者に期待する役割 身体の手当をする、距離をとるのではなくチームでつきあう
- 医療者中心の応援団をつくり、徐々に置き換える
- 女性依存者の回復
- 自分の言葉で話せるようんいなること。「お父さんが」とか「彼が」とか「誰かが」ではなく、「私が」としゃべれるようになること
- 自分の都合も優先できるようになること
- 変化する自分のからだとつきあえるようになること
- 子供の頃にいろいろなことがあったので、身体の感覚のスイッチを切って、一生懸命痛みを感じないようにして生きてきた
- 緊張しなくてはいけないようなところに長くいると、痛みを感じなくなる
- 思い出づくり 思い出とは出会いと生き抜く知恵
- 当事者にとって相談のイメージ 支配、恥、解決
- 親のSOS(子どもにしてみればグチ)をずーっと言われ続けていると、その緊張感の中で、「眠い」、「喉が渇いた」「お腹すいた」「疲れた」「おしっこしたい」といった生理的欲求が言えない子どもになることがあります。これらは人間にとって基本的で大切なことなのに、安心する関係がないといえないんですね。言えないだけでなくて、感じなくなっていく。緊張感のなかで身体の基本的な感覚が解離していきます。
- 生理的欲求というのも実は、その表現の仕方を教えられてはじめて表出できることなのです
- 親のグチ 正当化している。同じ話を何度もすることで、生き抜くストーリーをつくっていたんではないか
- 「死にたい」しか言えない人たちに、「自分の中の小さな不満や不安を言っていいんだよ」と伝えたい
- 痛みがしずかな悲しみに変わるのは、数えきれないくらい同じ話を誰かに聞いてもらわないといけないんですね
- 思春期の子どものケアを長年やってこられた方が、「怒るべきところで怒れると、あとでその子はよくなるといっていました。メンバーたちを見ていて思うのですが、みんな抑うつ傾向をもっている。抑うつというのは基本的なところに怒りがあるらしいですが、みんな怒るところで怒ってきていないから、底のところで怒りが残っていて、それが抑うつに変わっているのでしょうか。
- 援助者は繰り返し、「共感はするが、巻き込まれない」ことが専門職にとって必須だと教えられる
- トラウマは深く話しても楽にならないし、解決もしない
- 援助者の皆さんは、「相手の話を深く聞いたらその人が楽になるんじゃないか」と思って、がんばって聞くことがありますよね。深い話を聞くことに専門職としてのアイデンティティを感じている人もいるかもしれません。そして話をする側も、自分の過去のトラウマについて深く話せば「解決するかも、変化するかも」と期待して話します。
- でもそれは幻想です。トラウマを深く話しても楽にはならないし、解決もしません。
- 説明しているあいだは楽にならないんです。説明って人を楽にはしない。よくなっていくときの話って、説明じゃないんです。むしろ「どういう気持だったか」ということを話せるようになったときに、その人の回復をみるほうが多いなあと思います。