著者の講演を2013/7月のペインクリニック学会での教育研修講演、および製薬会社のweb講演会で拝聴したことがあり、このたび著作を取り寄せて拝読した。非常に示唆に富む本であり、慢性疼痛の臨床に応用が可能と思った。
- 高齢者の不眠
- まず尋ねるべきは、夕食後の過ごし方 すぐ寝ていないか
- 高齢者の不眠の訴えは、その多くの場合「早すぎる就寝」が原因です
- 本質は「不眠」でなく、「みんなが眠っている時間に自分一人だけ起きていることの不安」です。
- 起きたい時間から7を引く その時間に就寝
- 若年者の不眠
- 人間の体内時計は、起床とともにオンになり、その後、16ないし17時間しないとオフになりません。つまり早く眠りたければ、早起きする以外の方法はない。朝起きる時間で体内時計を調整する
- 睡眠を減らして得られるのはぼんやりとした時間だけ
- 抗うつ剤の投与は断酒が原則。習慣飲酒者には抗うつ剤を出すべきではありません。
- 「車乗るなら酒飲むな、薬飲むなら酒飲むな」
- 酒を飲むと、睡眠の質が劣化します。眠りが浅くなるのです。専門的には、睡眠のなかでも徐波睡眠と呼ばれる深い睡眠が劇的に減ってしまうのです。
- 治療を受ける権利には、義務も伴う。治療契約には自己保健義務が含まれる
- 背景事情に踏み込みすぎると収拾がつかなくなる。医師としての責任範囲の限定が肝心。
- 完璧に仕事の準備することにこだわるならば、体調を整えることにも完璧主義を目指しましょう
- 精神科臨床において「低侵襲」とは、激しい感情を喚起させるような話題を慎重に避けるということです。
- プライマリケア精神医学の成否は、患者さんの病歴のなかに生活上の問題を発見できるかにかかっています。
- 初診時に3点のみ、言い過ぎると次回来ない
- 「症状ではなく、生活をみる」
- やさしさは思慮の不足を補うことはできない
- マイケルの主治医は、もとめるがままに麻酔薬を投与していた
- 私ども精神科医のところにも、小マイケルは毎日のようにやってきます。
- プライマリケア精神医学を学ぶぼうとするときに、最大の難関は精神療法かもしれません。精神医学の教科書には、「精神療法の基本」として、傾聴、支持、共感と書いてあるので、その通り、傾聴して、支持して、共感すると、しばしば患者さんは見事なまでに悪化します
- 実際の精神療法というものは、必ずしも「人の役に立ちたい」という奉仕感情だけでは不十分です。やはりそこには一定の知識と技術が必要ですが、ときには、逆に、少々距離をとって、第三者的な味方をすることも必要でしょう
- 適切な療養指導は、それもまた大切な「精神療法」
- 疲労、倦怠感、食欲不振のような身体症状に着目し、背後にある生活習慣の乱れに目をむけることです。
- 「心理ばかりをみて、生活を診ない」、そういう心理カウンセラーというのがいるのです。それは、「症状ばかりをみて、生活を診ない」医者と同じ。生活実態を把握せず、学校で習った心理療法の定式に則って、自己の受容だの、洞察だの、実現だのの抽象的なことをねらってもそれは、的外れです。
- 不適切な薬物療法をお断りすることは、「診療拒否」ではありせん。
- 精神科臨床はどう学んでいくか
- ケースファイルを読み込む
- 自分のケースファイルを作る
- サマリーをつける
- バッティング練習をすることよりも、バッティングの理論書を読むことを大切にするバッターが一流の野球選手になる可能性はありません。手術よりも手術書を尊重する外科医が、手術にうまくなる可能性は皆無です。プライマリ精神医学も同じであり、臨床経験よりも、書籍の方を尊重する医者が上達する可能性はゼロです
- 精神科のカルテはどう書くか
- 症状ではなく生活を書く
- カルテを書く際に注意すべきは、言葉というものの二重性です。言葉は常にそれ自身を裏切ります。言語には事実を述べる側面と、それによって内面を隠蔽する側面があるのです。
- 言葉というものには、常に字面とは別の思わくが隠されています。表面にあらわれたものより、隠された意味のほうが未来の行動によりおおきな影響を与えます。カルテには、考えうる可能性を書き残しておくべきでしょう
- プライマリケア精神医学、私の経験
- お悩み相談的な傾聴は最小限に留めている。「過去を振り返るのは体調が回復してから」
- 医者は自ら助くるものを助く
- 常に注意していることは、患者さんをして治療者に過大な期待を抱かせないようにすることです。療養指導中心の治療の場合、ひとたび患者さんが治療者に期待してしまうと、生活を変える努力をしなくなります。「医者は自ら助くるものを助く」であり、自助努力をしない患者さんは治りません。患者さんが医者に治療を託すような受動的な姿勢になれば、治療は成功しないでしょう。そのため、「治すのはあくまであなた自身」と何度もいうことにしています。ときには、患者さんはあまりにも医者に「丸投げ」状態になってきます。そういうときんは「私は治せません」「私は治したことがありません」とすら言います。治療者としての私は、「患者さんを安心させる」とか、「癒やしを与える」といった意識を持っていません。根拠のない安心に浸りきった患者さんは、しばしばきわめて治療抵抗性です。患者さん自身に一定の危機感を持たせ、自らの努力で生活を変えない限り事態は変わらないことに気づかせるようににこころがけています。