- どんなに優れた抗うつ薬も、十分な睡眠をとる人にしか効かない
- 精神療法とはすなわちライフレビューである
- 職場は仕事を覚える場であるにとどまらない。そこは、人間について学ぶ場である
- 日本人は、金を積んでも動かない。むしろ、感動の共有によって動いてくる
- 総合病院メンタルクリニックの外来では一時間に10人は診ざろうえない。当然一人の時間は5,6分である。患者が入るやいなや挨拶もそこそこに、いきなり本題に入り、患者の語調、表情を見つつ、次の問いかけを考える。心理的にガードの固い患者の一瞬のほぐれを見逃さず、ドンピシャリのタイミングで、「心に響く言葉」を一日一言でいいから届けようとする
- 私は、回復期の患者が「先生のおかげです」と行ってきたところで、治療的意図をもって次のようにいうようにしている
- 「いやいや、わたしは治療らしい治療などしていません。それどころかこの仕事をはじめてから20年、一人の患者を治したことがないのです。患者さんは、そんな私にあきれはてて、勝手に自分で治っていったのです。私は、とてもいい患者さんに恵まれたのです。」
- 「あなたの治療だって、特段何かをしたわけではありません。もちろん薬は出しましたけど、これは気休めですよ。薬で治ったのではありません。あなた自身の中に治る力が秘められていた。それがあなたを治したというわけなのです。」
- ローニー 「診断とは治療的構成物にすぎない。それは往々にして一つの専門職の必要に応じて案出されたものである。診断という約束事は、思慮深く使われてはじめて、患者を助ける際に医者に役立つのである。思慮を欠いて使われると、医者の不安を打ち払う道具に成り下がり、医者の注意は患者の物語の細部からそらされてしまう。」
- 症状を治療することが精神療法の目的ではない。本当の問題は、症状の向こう側にある
- 問題は、たいていは込み入っている。まずは解決可能なところから解きほぐしていく。容易に解決できない大問題を後回しにしていると、いつまでたっても本質的な改善は得られない場合もある。しかし、現実適応がよくなると、積年の葛藤の方が霧散霧消することも少なくない。
- 現状に不満があると、それを過去の負債のせいにするのは、人間に普遍的にみられる習癖である。たいていの場合、そこには根拠がない。
- あらゆるトラウマには時効があることを忘れてはならない
- 漠然と「仕事がストレスです。納期のブレッシャ−がきつくて」といっているが、実は本質的問題はそろそろ精算しなければいけない社内不倫にある場合がある。治療者側がそれに気づいても、患者があえて話したがらない場合、深追いは禁物である
- 数カ月ぶりに来院したというのであれば別であるが、「いかがですか」とか「最近の調子どうですか」などといった、漠然とした質問はしない。超短時間精神療法では、話の流れのコントロールが成否を決する。いきなり「どうですか」では、芸がない。前回の面接の際に向こう数週間のことは話していたはずだから、そこから切り込めばいいい。患者に、「この前の面接の続き」という思いをもってもらう
- 医師の時間はき貴重で、すべての患者と共有されるべきものであって、独り占めは許されないだということである