金森昌彦 慢性疼痛の捉え方 心身健康医学 2008;4(1):18-25
- 腰椎は可動性(mobility)と安定性(stability)、神経の保護(protection)という3つの役割を持つ
- 慢性腰痛は「からだ」「こころ」「文化」の痛みである
- 国際疼痛学会の痛みの定義
- 不快な感覚性、情動性の体験であり、それには組織損傷を伴うものと、そのような損傷があるように表現されるものがある
- 疼痛が持続する中で、環境や人間関係の中で生じた心因反応や元来個人が持つ気質などが背景となり、疼痛の悪循環を起こし、いわゆる難治性疼痛に移行している場合がある
- 痛みというのは他者から見て、その苦痛が理解されにくい面があり、そのことが患者側にもさらなる心の負担となって、うつ状態、逃避癖などの疼痛行動に結びついているのが現実的である
- 最近の画像診断 よくわかりすぎるという欠点あり むしろ見えなくてもよいものまで見えてしまう不都合
- 患者のこころにわたしの腰痛はMRIでみえるこの変化が問題なのだという病者の意識をいとも簡単に植え付けることになってしまう
- 胃炎や心疾患では炎症や機能異常がおさまれば検査所見は改善するが、腰痛の場合には痛みが取れてもMRIに見られる椎間板変性の所見は同じように認められる
- 腰椎疾患では画像所見が疼痛の状態を反映しておらず、臨床診断上の問題点の一つである。わかりすぎる画像所見は患者のこころに対して痛みへの執着を助長している。
- 日本人のまじめ気質のなかには部分的な就労とか軽作業のみで現職復帰というのは自他ともにあまり許されない面があり、周りの人は本人に対して、『○○さんは腰痛があるらしいが甘えている。私だって腰痛はあるのよ」というような陰口、本人も「同僚に迷惑をかけるのではないか」という過度の気兼ねがあり、すこしづつできるところから復職するという形式がとりづらい
- 「恥」を基本とする日本文化の弊害の一つかも
- 疼痛には知覚と情動という2つの側面があり、その両者をどのように把握するかは難しい。
- 慢性腰痛はもはやからだへの警告としての痛みではなく、急性腰痛とは別の疾患概念と捉えるべきである。
- すなわち脳の感覚野に痛みという情報を刷り込まれた別の疾患と捉えることができれば新たな治療の一助になるのではないだろうか