木村宏之 高齢者の心因 神経症から身体症状症(DSM-5)へ 老年精神医学雑誌 2016;27(10):1037-1045
- 医療者が説明する「心因」は具体的に想定されたり、対策が講じられたりすることは少なく、「よくわからない患者」というレッテル貼りにつながりかねない
- 歴史的概観
- 紀元前 ヒポクラテス全集 婦人病250頁 子宮の窒息というヒステリーの記載がある
- 19世紀 ヒステリー(hysteria)やヒポコンドリー(hypochondriasis)は原因不明の疾患として別々に扱われていた
- 1877 Cullen W(イギリス) 生理学では説明がつかない奇妙な患者群を包括しようとして、神経性疾患(neurosis(昏睡 comata, 脱力 adynamiae, けいれん smasmi, 狂気 vesaniae)という概念を初めて提唱し、これが神経症の始まりとされる
- 当時の「説明がつかない」が意味したものは、炎症性/消耗性/局所性以外の神経性疾患であり、この時点では、変性疾患、精神病性障害、気分障害なども含まれていた
- その後、神経症は、身体(脳)の要因は除外されていき、心理的疾患という色彩を強くしてく。この過程で、「神経症」は「医学で説明のつかない」ことから「患者の心理的要因によって生じること」へと意味を変えていった
- Freud S ヒステリー患者の臨床研究をきっかけに精神分析を確立していった。そして、神経症を、無意識的葛藤とは無関係で現実生活による現実神経症(actual neurosis)と無意識的葛藤に基づく精神神経症(psychoneurosis)に分類した。そして、神経症症状は、本能衝動とそれを禁止する超自我との間で生じる無意識的葛藤に基づいて生じるとした
- 1884 ゾンマー(Sommer R) 心因の始まりであr「心因症」を提示した
- いずれにしても「説明のつかない」患者は、ヒステリーから神経症に抱合され、心因という茫漠とした輪郭のはっきりしない原因によって生じると考えられた
- 1952 軍部の主導でDSM-Iが出版 力動精神医学の考え方が取り入られた
- 1968 DSM-II 神経症は引き続き用いられ、ヒステリーは、解離ヒステリーと転換ヒステリーに分割されて診断された。それぞれエキスパートの神経症概念は多様で独自的となってしまい、臨床家間で診断が一致しないという混乱した状況に陥っていた
- 1980 DSM-III アメリカ精神医学会 症候記述的を中心とした操作的診断基準を採用
- 1987 DSM-III
- 身体症状は、明らかな心理社会的ストレッサーと症状の出現あるいは悪化の時間的関係を認めればよくなった。このように力動的な色彩は段階的に薄まり、「心因」はほぼ排除された
- 2000 DSM-IV-TR
- 多軸診断 患者を包括的に理解
- 実際の臨床場面では、高齢者の多彩な身体愁訴を身体疾患に基づかないと判断することは非常に難しいという問題がのこった
- 2013 DSM-5
- 身体表現性障害は身体症状症という診断名になった
- そして「(変換症は除き)身体症状に対して医学的説明ができない」ことが、定義から除外された
- 背景には、医学的説明ができないとう決定の信頼性に限界があり、また医学的説明ができないことよりも「苦痛を伴う身体症状とそれに対する異常な思考・感情・行動」に主眼がおかれたことがる
- さらに、医学的説明ができないことが強調されることによって、患者が診断に屈辱感を持ちやすいという弊害もあった、こうした背景もあり、DSM-5では多軸診断は中止された
- 「心因」は、「説明のつかない」神経症の原因であったが、そこから「心理的要因」という色彩をより強めた。そして、「心理的要因」そのものの評価は、精神力動的な「主観的理解」から客観的評価コードによる「客観的理解」へとその軸足を移しつつある