DSM-5にしがみつかない生き方 臨床家の輪に加わりたい大学人のために

井原裕:DSM-5にしがみつかない生き方 臨床家の輪に加わりたい大学人のために. 精神医学, 57:608-610, 2015.

  • ヒトという生物の認知特性
  • 典型例をまず把握し、それとの類似性の認知によって理解していく
  • そこには操作主義者たちが想定しているような、定義的な基準のリストは存在しない
  • 兼本浩祐 抽象概念を把握する際に、ヒトは本性上、プロトタイプと類推を用いた認知を行う
  • 診断とは抽象概念を範疇化する過程である
  • 在野の精神科医の大半がDSM-5に無関心なのは認知生物学的な理由だけではない。むしろ、DSMが「師団と頭頚」のためのマニュアルだからである
  • 臨床家は「診断と統計」のために生きていない。「治療」のために生きている
  • DSM-5は、「診断と統計」のためのマニュアルであり、研究医が作った取り決めである。研究医の、研究医による、研究医のためのDSM-5であり、その目的に適う限りにおいて、その使用は正当化される
  • DSM-5を「治療」の場に用いれば、「目的外使用」になる。
  • 在野の臨床医がDSM-65に対して違和感を抱くのは、それが「診断と統計」のためのマニュアルだからだけではない。精神科一般は大学病院の臨床レベルに疑念を抱いており、DSM-5は役にたたない大学精神医学の象徴である
  • 大学人は、地域に実務の現場で鍛えられた鮮達の精神科医たちがゴマンといることを忘れてはならない
  • 大学人は臨床医一般に比して、日頃の鍛錬が不足している
  • 経験値を欠いた大学人たちが、不安から極端なイデオロギーに走ることは想像に難くない
  • 職業としての医師は、職人の集団である。
  • 職人の世界とは、会員制クラブであり、その道で長年にわたって経験を積み、腕を磨き、修羅場を踏んできた猛者だけが発現を許される。そこでは、「仕事ができるか」が唯一の価値観であり、できない者はクズのように扱われる。
  • 精神科臨床とは、患者を既存の範疇に押し込むことではなく、むしろ、個別の対応を検討することである。
  • 典型例との差異を読み取って、現在の問題を把握し、直ちに行う手立てを考えることである
  • 実践に必要なのは標準化などではけっしてなく、むしろ徹底的な個別化である
  • 大学人は臨床家の輪に加わるつもりなら、DSM-5にしがみつかない生き方を選択せざるを得ない。
  • 臨床の現実に向き合ってみればよい。そこには多様な患者がいる。多様性に応じた多彩な対応を行うことで、臨床家の