過活動な過干渉な私? 外来でのマインドフルネス認知療法の試み

福元智子 過活動な過干渉な私? 外来でのマインドフルネス認知療法の試み ペインクリニック 2015;36(3):667-676

  • 症例1
    • 生育歴 5人兄弟の3番目、上には兄や姉もいたが、なぜか子供のときから兄弟の悩みを聞くことが多かった。そのため、兄弟の誰かに問題が生じたときにはすべて患者が解決に奔走するような調整役を引き受けていた。この役割は現在も続いており、何かと兄弟に当てにされることが多い。そのように兄弟の問題を解決しながらも、「でも、自分が困ったときにはだれも助けてくれないだろう」と孤独感を感じていた
  • 症例2 
    • 生育歴 兄妹をもつ長女。幼い時から、お酒を飲むと暴れる父と穏やかな母の間を取り持ったり、兄弟の一大事には自分が何とかしなければならないと感じていた。現在は体調がすぐれないために、母の介護を妹に任させていることに対しても罪悪感が強く、「顔向けできない。会いにいきたいが会いにいけない」とのことだった。さらに夫の家柄に対して本人が劣等感を感じていることも明らかにされた。原因探しに終始されており、こころの動きをとらえることが困難な様子であった
  • 医師「今の症状はとてもつらいですよね。悪くなっているように思えますよね。でも、治療の経過としては順調なんです。色々な気づきが出てきて、見たくなかったものまで出てきているんです。でも、それを抑え込んでいたことが症状をつらくさせている原因の一つでもあるんですよ。泣きたいだけ泣いたっていいんですよ。今まで泣けていなかったんじゃないですか」
  • 今回の症例はともに60歳代で、兄弟の真ん中であるという共通点があった。責任感が強く、自分が家族や兄弟の面戸上をみなければならないという思いをもっていた。しかし、その割には周りから感謝されず、孤独感も感じていた。これに関しては、自分がつらい時には、体調がすぐれないこと、自分がどんな援助を必要としているかを、相手を尊重しながらも自己主張するアサーショントレーニングを行うように勧めた。
  • 過活動によって孤独感、罪悪感、劣等感などのつらさを忘れようとしていたと考えられる
  • 親子関係で親が子供に対してあれこれ関わりすぎる過干渉は、こどもの尊厳を傷つけ、将来、痛みをより強く感じる危険性が高いという
  • 痛みをつよく感じていることは、気づきが増えたことによるものでよい治療経過であることを説明し、今まで通りの治療を根気強く行っていくことを促すことができた-
  • コメント 細井昌子
  • 人間は、自分の過去の苦境を乗り越えるために有用であった手法を、目前の苦境に適応するものですが、この患者さんも様々な苦境を努力で切り抜けたのでしょう-過去には乗り越えられたこられた対処策でも、慢性痛では歯が立たない状態であるために、困惑しているわけです。その努力が奏功しないこともあり、医療に助けをもとめて来られているわけです。
  • そこで、過去の苦労をどのように切り抜けてきたかという歴史(生育歴)を聞くことが役に立つわけです。生育の過程で「周囲に助けを求めること」がうまくできなかった症例が、過剰に運動することで悪循環に陥り乗り越えられない苦境で悩んでいるわけです
  • 病状を改善させるために何らかの工夫をしないといけないのは事実ですが、
    • 1慢性痛の場合には、今まで患者さんが乗り越えてきた苦境とは異なり、物事を過剰にする、あるいは逆に恐怖を回避するだけでは事態が改善しないこと、
    • 2過剰にすることで過去の苦境を乗り越えてきたためハイテンション(交感神経系が機能亢進)となり、身体感覚が麻痺していることが多いため、過剰に活動を行っても適切な身体からのサインを実感しにくいためやり過ぎになってしまうこと(失体感症)、
    • 3苦境に対して「日本人の美徳である」愚痴を言わない対処法で頑張ってきたため、不快感情を言語化することが苦手であること(失感情症)、
    • 4体感や不快感情を実感すると、自己主張する必要がでてくるものの、その主張の仕方も苦手であること、といったポイントがあり、患者さんの実際の体験を傾聴しながら、「病状」をすぐに改善させるというよりも「病態」を改善させることを優先して、徐々に話し合っています。
  • 福元先生が考察で述べられているように、慢性痛は「治る」ことはすぐにはおきないかもしれませんが、「良い方向に変化する」ことは治療者が焦らなければ起こり得るような気がします
  • 心身医学的病態の重症度の違いは、「信頼関係の形成→苦痛・苦悩の言語化の促進→心身医学的治療対象を患者、治療者で明確に同定し、具体化する→治療による認知行動の変容の肯定的認証→家庭社会生活での適応と失敗に対する対応の話し合い→本人なりの努力を認証→独り立ちのための治療契約の解消」と進む心身医学的治療ステージが、どのくらいの速度でおこるかと、どのくらい支える必要があるかであると思います。
  • 膠着状態に陥るだけのsomethingがあることを受け止め、本人の変容の速度を治療者が受容することが重要であると思われます
  • 心身医療に熟練しておくための視点として有用であると感じているのは
    • 1 治療者が前述した心身医学的治療段階の、今、どの段階にあると意識しているのか
    • 2 この患者さんの硬さにはどの程度同じ内容の治療を続けることが心身医学的変容のために必要であるか(逆にいうと、どの程度の心身医学的柔軟性があるか)
    • 3 治療者が患者さんの実態に応じて適切な提案をしているのか、ということを推し量る力量です
  • 日単位で変容する患者さんもいれば、年単位で変容することもあります。「機が熟す」ことを大切に「自分なりにどのような工夫をしていますか?」と常に問いかけて、膠着状態でも本人なりの努力としてどんなことを患者本人が行っているかを話し合い、本人なりの工夫は認証しながら、過剰にならないように提案していくのも一法かと思います。