p1-47 菊地臣一先生
- 父から、「お前は時代に左右されない職業を選べ」といわれた
- 卒後大阪市立大学脳神経外科へ 白馬明先生 頚椎のマイクロ手術を学ぶ
- カナダのMacnab
- 一生懸命やっていれば国境や人種、文化の壁を超えることができるのだという私の哲学はその時に生まれた
- 出会いは単なる衝突ではなく、自分が求めようとする熱意と、それを受け止める相手の熱意があって、初めて成立する。つまり人生の扉は他人が開くのだということを、その時に学び、いまでも言っています。自分の力で道を拓いたなどというのは嘘です。努力したら報われるのではなく、自分の努力を相手が受け止めて、こいつを何とかしてやろうという愛しさが生まれて成立する。
- 親は選べないが恩師は選べる。「三年待つとも師を選べ」
- 他人の面倒を見るなら徹底して面倒を見るという教えを学びました
- 頼ってきた人間を面倒見るなら徹底して面倒をみる
- 人は頼られるうちが華
- 他人に関心を持つ
- 医療以外のことに興味、関心を持ってあげると、患者さんの満足度が非常に高い
- 医師が扱いにくいと周りから思われるのは、自分に対する周りのニーズが変わってくることを自覚している人が少ないからです。それを自覚すると非常に組織がうまく動くのじゃないでしょうか。つらいですけど自己変革はしなくてはならない
- どんな立派なカリキュラムがあろうとどんな立派な病院であろうと、誰が指導してくれるか、研修医が接する人間がどんな人かで決まると思います。悪く言うと組織は人を裏切ります。だから永遠の名門などありえません。
- 自分の力量を知っている人が手術に関して言えば真の一流ではないでしょうか
- 外科系の医師は、絶えず新しい技術や知識に関心を持つことと同時に、一度は新しい技術を試して見ることも必要です。