永田勝太郎 慢性疼痛に全人的医療はなぜ必要か 慢性疼痛 2001;20(1):83-89

  • 全人的医療とは、その医療の視点を病んでいる患者の臓器単独(局所)のみにおくのではなく、患者をいつ、いかなる場合においても、「病をもった人間(個人、全人:whole person)としてとらえ、身体的・心理的・社会的・実存的な視点から、包括的に(全人的に)理解し、その過程の中から、患者固有の問題の解決を図ろうとするものである
  • 慢性疼痛を訴える患者には医療不信が潜在しているといってよい。
  • 医療不信というが、これを煎じ詰めて考えるとそれは「医師不信」に他ならない。この医療不信、医師不信を如何に払拭するかが、慢性疼痛の治療のポイントになることも少なくない
  • 症例
    • QOL調査票により、睡眠・食欲・運動が障害されている。また生きがい(生きる意味)を失っていること・家庭内での役割が十分に果たせていないこと・疼痛も甚だしいことが浮かび上がってきた
    • 痛みからくる「怒り」は患者のみならず家族にも波及していた
    • 心理・社会・実存的見地からすると、患者の疼痛は患者の叫びであると考えられた
    • 「一人にしないでくれ!」、「誰か側にいてくれ!」という叫びが「痛い!」に置き換えられたのである
    • 患者の評価
      • 身体的問題 動脈硬化・老化・器質的疾患の既往
      • 心理的問題 退行というかたちでストレスコーピング・家族からの疎外・JRマンとしてのプライドの高い生活・家長としての家族に君臨していた
      • 社会的問題 働き者の家族・家族に君臨していたが今は結果的に疎外されている・夜の孤独
      • 実存的問題 退行と自尊心の間の葛藤・定年後の意味のない生活(実存的虚無感)痛みを訴えるしかない自己主張
  • 「医療はdoingというよりbeing」という。行為よりまず、側にいることが重要である。患者の側にいる時間が長いのは家族である。慢性疼痛という日常的な病態に家族の協力は必須である。チーム医療は家族をも巻き込んだ形で成り立っても差し支えない。むしろ積極的に家族の協力を仰ぐべきである

永田勝太郎 痛み 日常診療に役立つ Q&A 治療 1993;75(5):1456-1458

  • 痛みが慢性化すると、痛んでいる局所の問題だけではすまなくなる。さまざまな悪循環が発生する
  • 患者は疼痛のため、社会適応が困難になり、その社会的役割を十分に果たせなくなり、生きる意味を失い、時に自殺してしまうケースに出会うこともある。こうして考えると、痛み、特に慢性疼痛を不定愁訴としてとらえるのは危険でもある