信田さよ子 訪れる痛みと与える痛み 現代思想 2011;39(11):108-116
- 21世紀を迎えて様々な被害者とのかかわりが増えてきた。彼女たちは奇妙な痛み、理解不能な痛みを訴えるのだ
- 痛みと女性をつなぐものとしてアディクションがあり、そしてその背景には暴力の深い被害経験がよこたわっていると考えざろう得なかった
- 家族内の暴力の被害者たちは、予測不能性による恐怖と、夫に「お前が悪い」といわれ続け内面化された自責感、二度と怒らせまいとする地雷を踏まないための緊張感で圧倒されるようになる。夫の暴力による痛みは妻の文脈性を切断するのだ。そして自らは記憶の外部にとどまる。このように痛みは文脈を破壊する可能性を秘めているために、トラウマの外部に位置することになるのかもしれない
- 被害者たちの痛みについての2つの仮説
- 被害をうけた時は恐怖・驚愕によって一種の解離が生じ、痛みが生じなかった。暴力の脅威が去ってから解離状態も消失し、棚上げされていた宙吊りの痛みがよみがえって訪れる
- 痛みを痛みと感じるには承認が必要だ
- 自分が被害者としての定義を受け入れた時、そして他者から被害者である自分を承認された時、痛みの感覚が訪れる
- 自分の痛みは自分のものであり、訪れる痛みを受苦すること。そしてそれが痛みと共にであると他者に承認されること。しかし他者に剥奪され侵入されてはならないこと
- 痛みは、自我や自己と呼ばれる構築された主体の基底を支える土台なのだ。過去と現在、身体と心をつなぎながら決して歓迎されることのない感覚として痛みは私たちを訪れる