痛みを感ずることと芸術鑑賞のメカニズムは同質か

山田仁三、北村泰子 痛みを感ずることと芸術鑑賞のメカニズムは同質か 慢性疼痛 1995;14(1):9-12

  • 従来は、脊髄から大脳皮質、とりわけ古皮質までの情報の伝達は多くの介在細胞によってなされているようにかんがえられていたが、上記したように、新・古皮質を問わず痛覚情報が大脳皮質に速やかに伝達されることがわかってきた。
  • 以上のことを要約すれば、痛み情報は特定の皮質に運ばれるのではなく、広範な領域に運ばれて大脳皮質の活動を広くもたらすことになる。この広い活動が、大脳皮質で痛みを感じるのではないか。なぜなら、痛覚は大脳皮質の限局した部位に一次中枢がない。すなわち限局した皮質を刺激しても痛みは誘発されないのである。
  • したがって、痛覚は他の感覚と異なっていて、末梢の刺激が痛みとして大脳皮質の限局した部位に伝えられるのではなく、大脳皮質と痛いと解釈しているのではないか
  • 以上を要約すると、脊髄からの情報は、脊髄から間脳に直接伝えられ、さらに脊髄からの情報を受けた網様体からの間脳に間接的に伝えられる。間脳の視床からの情報は、広範な新皮質に投射され、さらに連合線維、交連線維、大脳弓状線維によって形成される閉鎖回路を駆け巡る。視床下部から中間・古皮質はParezの情動回路を駆け巡る。このことによって、痛覚は限局した皮質領域に一次中枢を持たなくて、広範な皮質で情報が処理されて発現することが推測される。
  • 痛みは年齢、性別、文化的基盤、精神状況、痛み体験(学習)などによって修飾される。すなわち、痛みは客観的に評価されるものでなく、きわめて主観的に評価さえることになる。このことによって、「本人が痛いから痛みがあるのだ」というこたおがそれなりに正当性を帯びてくる。もちろん、脊髄からの情報がすべて痛みに関与するという保証はどこにもない。すなわち脊髄から大脳皮質への情報は多種類の感覚系を含んでいる可能性が十分にある。言い換えれば、種々の情報を統合的に解釈することによって「痛みを感じる」ということになる。言い換えれば「痛みは感ずるのではなく、痛いと解釈している」ということになる。