痛みの記憶

菅原道哉 痛みの記憶 医学のあゆみ 2002;203(1):54-58

  • 疼痛は痛みを感じている人だけの主観的体験である。したがって医療者は先入観を捨て、痛みを訴える人の主観的体験を素直に聞くことが大切である。痛みは感覚と感情の複合体験である。痛み感覚も痛み感情も、その記憶を言語で伝達することは難しい。しかしわれわれは、それらを言語構造に転換して他者に伝達しなければならない
  • 器質的・機能的要因が理解しがたい持続性疼痛の背景には、患者の素因、生活暦などの歴史性がある。歴史性を通して感情コンプレックスが形成される。これが言語化、身体化、行動化されてはじめて他者に了解可能な徴候となる。
  • 精神医学的持続性疼痛の対応は、患者その人だけの物語をできるだけ先入観をもたず受け止める作業が必要である。医療者が傾聴する過程の中で、患者は自ら自分の歴史性を対象化し、非日常的体験を異化できるようになる
  • 情報は脳内で言語構造に変換された後、記憶のスキームに構造化・分類化されて貯蔵される
  • 認知心理学による記憶の機序
    • 記憶貯蔵庫を短期貯蔵庫、長期貯蔵庫と2つ想定する考え方は二重貯蔵モデルといわれている
    • Craik & Lockhart 処理水準モデル
    • Baddeley 作動記憶
  • 臨床における記憶分類
    • Tulving 長期記憶をエピソード記憶意味記憶に分類
    • Squire 宣言的記憶と手続き記憶
    • 宣言的記憶 系統発生的に新しい 事実、エピソードなどのデータの貯蔵 海馬をはじめとする内側側頭や視床を中心とした間脳
      • エピソード記憶 時間的・空間的文脈を備えた記憶
      • 意味記憶 特定の時間や場所に関係しない、一般的な情報に関する記憶 能動性を伴う 潜在的記憶の範疇に組み込まれている
    • 宣言的記憶 技能、手続きが貯蔵 系統発生的に古い 意識的に想起できないことから潜在記憶の範疇に入る 基底核―小脳―前頭葉系が重要な役割
  • 疼痛と記憶に関する問題点
    • 痛み評価の尺度の問題
      • 言語に変換される際に痛み感覚以外に痛み体験時の感情気分、それまでの苦痛体験、困惑などすべて含包され、意味化している 評価尺度によっては、これが影響される
      • VASは言語構造化を求めないだけに、直感的な痛みの想起は正確であろうと考えられている
    • 痛み体験の想起に関する強度以外の要因の問題
      • 想起時の状態不安の程度、想起の感情的覚醒度に影響される
      • 感情、気分と記憶の想起について Brewer State dependency/mood dependency
      • state dependency (状態依存性) 記憶の学習実験を施行したときの気分とその想起実験時の気分が一致してばいるほど、想起成績がよい
      • mood dependency (気分適合性) 学習実験で記憶してもらう資料の内容、性質が想起時の気分と類似しているほど想起されやすい
      • Price 疼痛不快感には疼痛感覚の強度と密接に結びついているものと、慢性疼痛体験に関連した二次的疼痛感情があると述べている
      • 疼痛刺激は侵害感覚として感知され、即時痛による不快感として体験される。一方侵害入力は、別経路を介し覚醒、不安、自律系、感覚運動系を活性化し、次に注意を喚起して、反応形式、程度を評価する。この両者が合成され、即時痛に対して二次的評価が進み、二次的疼痛感情が生じる
    • 急性痛か慢性持続痛かによる想起の差の問題
      • 慢性持続性疼痛患者は、記憶力、注意力の低下を訴える。認知障害が大きいほど慢性疼痛患者は痛みを強く訴える。万誌得疼痛患者で痛みを強く訴える人ほど注意障害が高い。感覚興奮が注意力を高め、身体感覚を鋭敏にする
  • 彼は慢性疼痛患者の心理的・社会的力動に医者は関心を払うべきであると述べ、次のようなスキームをつくり、慢性疼痛患者は最終的には自意識の損傷が生じることを述べている。侵害刺激の繰り返しの入力により末梢、中枢が感作される。この侵害刺激にストレッサーは視床下部―下垂体―副腎系を介し、ホルモン系、自律系、免疫系との相互作用を経て最終的には大脳辺縁系前頭葉系に影響を与える。この系は自意識の最高中枢と考えられている。これらの系が感作されると、心理的刺激によっても痛みの感覚、感情が誘発される
  • 今後、慢性持続性疼痛患者については感情の記憶、感覚の記憶、行動の記憶、状況の記憶および文脈の記憶など日常生活のなかでの痛みの解析が必要である。実験的環境下での痛みの測定とは異なる状況が、日常生活にはある