丸田俊彦 慢性疼痛患者に対する精神療法的アプローチ 臨床精神医学 2008;37(1):21-27

  • 原因の特定できない慢性疼痛の患者で、医療従事者が扱えるのは痛み行動だけである by Fordyce
  • 一つは診察場所による患者の診断名の違いであり、2つ目は、身体的リハビリの重要性である
  • 患者の訴えが身体的なものである限り、いかに心理的な要素が疑われようが、身体面での手当を欠かすことはできない
  • いかにあがこうとも、器質性と心因性の区別はできない
  • Goldman 病歴も、レントゲン写真もいらない。もし患者に医療従事者へのhostility(攻撃性、怒り)があれば、それは間違いなく心理的要因が強いことを示唆し、こちら側の苦労を約束するものである
  • 線維筋痛症は、あなたの病名でなく、あなたは何者かを語る名刺である 線維筋痛症とともに生きることを学んだ患者ならそう言える
  • 慢性疼痛にともなううつは、認知行動療法的な痛みのマネジメントプログラムによって寛解する
  • 慢性の疾患では、「治す責任は医者にある」と書き換えられて、患者の依存性を高めたり、治療に対する患者側の責任性の放棄を招くこともすくなくない
  • 慢性疼痛患者の経過観察で一番大切なのは、定期的なアポイントメントである。さらに、面接時間の長短に関わらず、決まった長さの時間枠が構造化されており、「この次に不安を語れる時間」が確保されていることである。そしてできるならば、経過が良好なときこと時間を惜しまずにボジティブな動きを共有し、確認し合いたい
  • 痛みをかばって何年間も運動制限をしていた患者にフィジカルセラピストがつきそって毎日運動を開始し、体を動かすことが安全であることを実地に体験するだけで、ぐんぐん体力を回復し、気分/態度の改善を示すのを数多くみると、ごく初歩的なレベルにおける実地指導、アドバイスを通して、患者が自分のしていることに対し安心を覚えることの治療的効果は、強調しても強調しきれない。
  • 慢性疼痛をめぐり、筆者が確信をもっていえること2つ
    • 心と体は、われわれが考える以上に近く、切り離せないものであるということ。言葉を換えていえば、「心因性vs器質性」という区分は、少なくとも慢性疼痛の臨床では意味を持たない
    • 患者の訴えが、慢性疼痛も含めて、患者の病理だけに起因するものではないことである。行動療法が主張するとおり、「随意運動は周囲からの反応や、思考内容感情により規定される」し、「痛みという知覚を主観的にどう体験し、その体験をどう表現するかは、周囲の人的環境との相互作用によって決まる」からである