- 作者: Michael R.Bond,大村昭人
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 1987/02
- メディア: 単行本
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痛みの理解と治療
- Gate control theory, Melzack & Wall 1965
- 有害刺激によって生じた情報は、その末梢神経から脊髄へ通過する間に、脊髄後角領域にある特殊な’門制御’機構の活動で調節される
- 門が開いている時は、情報は脳に伝達されるが、門が部分的に開いているかしまっているときにとわずかの量の情報しか脳にいかないあるいは全くいかない
- 門の設立と痛みを伝える情報がそれを通過しやすいかどうかは、大小の求心神経線維と高位中枢から下降してくる線維活動の均衡による
- 日常我々が身体の損傷部を盛んにこすって太い線維系を刺激すると、痛みのインパルスのそれ以上の伝達が抑制される
- 痛みに対する学習や環境の影響
- 痛みが行動に果たす学習の役割
- 痛みに対する環境因子の効果
- スポーツ中に痛みを感じない、不安、怒り、腹立ち、続いてうつ状態は痛みに対する耐性を減少させる
- 個性
- 痛みの意味するもの
- 身体的損傷の証拠としての痛み
- 意思伝達の手段としての痛み
- 人を操作し、憎しみを表し、罪悪感を和らげる手段としての痛み
- 痛みに伴う情動および身体症状
- 作者: 山田宗睦
- 出版社/メーカー: 風人社
- 発売日: 1992/01
- メディア: 単行本
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人間の痛み
- デカルトの火の粉理論
- 火の粉が足に近づいてきて、そこの皮膚を刺激し、そこについている糸を引くと、脳につながる神経末端に小さな孔があき、それが痛みとして知覚される
- 脳の痛み中枢を鐘にたとえ、神経をロープにみたてて、ロープを強く引くほどに鐘の音(痛み)は大きい
- ゲートコントロール理論
- 鐘にはすくなくとも2つのロープが結びつけられている。一つは細いロープでもう一つは太いロープ。ロープを引っ張る人も単純でなく、細いロープを引っ張る人は思いっきり強く引っ張って大きな鐘をならそうとする(ゲートを開く)、一方太いロープを引っ張る人は、はじめ強く引っ張るが、その後でそっと静かに引っ張り、鐘の音を小さくしようとする(ゲートを閉じる)さらに鐘楼に登って、鐘のすぐ横から手を伸ばしてロープに手をかけ、したから引っ張る強さを適当に調節する人(ゲートの開閉)、鐘にぶらさがり、鐘の音をいろいろと返る人がいる
- 組織損傷ははじめは感覚的な経験としての急性の痛みを生じます。しかしながら、痛みが3ヶ月をすぎ慢性期になると、感覚的な痛みよりも精神的な痛みが大きくなってきます。そのときには最初に存在した組織損傷はほとんどなくなっているのに、痛みだけが存在する状態になるのです。
- 国際疼痛学会の痛みの定義と注釈
- 痛みは実際のまたは潜在的な組織損傷を伴う不快な感覚的、精神的な体験
- 痛みは常に主観的である。ひとはそれぞれ、人生の早い時期に、外傷に関係する経験をとおしてその言葉の使用法を学ぶ。それは疑いもなく体の一部分に感じる感覚であるが、それはまた、常に、不愉快なそして、それゆえに感情的な経験である。多くの人々は組織の損傷もしくは病理学的な原因がないのに痛みを訴える。通常これは精神的な理由から生じるものである。自覚的に痛みを訴えられたときに、その痛みの経験を組織損傷から痛みと区別することはできない。もし患者が、彼らの経験を、痛みとみなし、痛みと同じように訴えるならば、それは痛みとして受入れられるべきである。この定義は、痛みを刺激と結びつけることを避けた。侵害刺激によってひきおこされた、侵害受容器または侵害経路における活動が痛みではない。我々は痛みというものが大部分、直接の身体的な原因をもつことを、よく認識しているのであるが、しかし、やはり痛みはいつも一つの、精神的な状態なのである。
- 痛みをもつ患者さんが、一般の診療科においては、以下に理解されにくいかということです。慢性痛は、多くの場合、その原因を探し出すのが困難です。痛みがあっても相手にされずに、そのため、ますます堪え難い痛みとなっていきます。それは心因性の痛みですと決めつけただけでは、なにも救われることはないのです。痛みが精神的な一つの状態であると痛みの定義を知っていれば、そのような診断は決してつけないはずです。すなわち痛みは、すべて心因性なのですから、精神的な因子を含まない痛みはないのです。患者さんが痛いと訴えればそこに痛みがあると認めるべきなのです。
- 痛みとは不快な感覚体験および感情体験であって、一般になんらかの組織損傷が差し迫ったときないしは組織損傷に引き続いて、特異的に表現されるものである。痛みはいつも主観的なものである。人間は生涯の早い時期の生活の中で遭遇した負傷の体験から、痛みという言葉の意味を学習する。痛みが、身体の一つ、あるいはいくつかの部分にわたって起こる感覚であることには議論の余地がないが、いつも不快な体験であるため、痛みはつねに感情体験となる
- 痛覚閾値に影響する因子