「痛み」の医学 こども編 (ちいさい・おおきい・よわい・つよい)
- 作者: 内田良子,熊谷晋一郎,山口和彦,山田真
- 出版社/メーカー: ジャパンマシニスト社
- 発売日: 2019/07/25
- メディア: 単行本
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- 自分の身の上に起こった体調の変化や痛みといったことに対する見通し、知識、予測を失うことはたいへんなんだということを、私ははじめて感じました
- 私自身に関する当事者研究の最初のきっかけは、この、ある朝突然始まった痛みの経験と、「知識は鎮痛剤になるんだ」という気づきだったからかもしれません。
- 主観的な痛みはかなり強いのに、検査の結果はたいしたことはない。そしてただ、痛み止めと湿布だけをだされる。そのギャップに、「自分の経験を説明できる十分な知識が得られていない」という納得のいかない感覚がありました。
- 担当医はだまってうなずいて聞いてくれた。そしてその翌日から、痛みが嘘のように緩和した
- 中枢機能障害性疼痛 侵害受容性疼痛、神経障害性疼痛以外のいたみ
- アプカリアン 中枢機能障害性疼痛とは痛みの記憶だ。
- いまはないけども、かつて痛みの原因があり、その記憶が脳内にあって、思い出して痛くなる
- 破局化思考 拡大視、無力感、反芻
- 拡大視、無力感はトラウマに似ている
- 記憶の痛み、記憶がうずいているんだというアプカリアンの説は「脳の錯覚」ともいわれます
- トラウマと中枢機能傷害性疼痛というのは、「癒えない痛みの記憶」という共通点でつながっていることを学びました
- 破局化 痛みが原因で自分の物語がうまくいっていないと信じている度合いとして解釈できます
- 痛みが原因で、「物語」がうまくいかない状況になっていると、当然人はなんとか痛みをとってほしいと思います。痛みさえとってもらえれば、もとの「物語」を継続できる、もとの人生設計に復帰できると思うからです
- 痛みが生じ、自分の物語の継続を邪魔している。そうとらえるのではなく、「物語」をうまく継続できなかったから痛みが生じた。そう考えると、痛みというのは「あなたの物語は見直しが必要」ということをお知らせしてくれている貴重なシグナルといえるのではないか。そのことを得心することが、「中枢機能障害性疼痛」から抜け出す入り口になるのではないかと考えたのです
- 思えが私はあのときはじめて、それまでの人生の「物語」を人前で整理することができたのです。卒業してからどんな歩みをしてきたか、自分では知らず知らずのうちに、けっこう無理をしていたことも、しゃべりながら気がついたりもしました。
- そして、その痛み経験をきっかけとして、それまでの人生設計とちょっとちがう進路を歩みはじめました。
- 痛みから逃れたくて、追い詰められたとき、傷となった場所や当時を知った人たちのなかに飛び込むことになった。いわばプライドを棚上げして「物語」を語る。
- みずから語ることで、それが、当時自分が思い描いていた人生の「物語」をあらためて見直すきっかけをくれた経験になったのではなかろうか、というのが今の私の解釈です
- 中枢機能障害性疼痛は、人生の物語の破綻を教えてくれるシグナルであると私の考えをお話しましたが、その「物語」の破綻というのが、ほぼイコール「トラウマ」と呼んでいいでしょう
- ということは、トラウマが、「中枢機能障害性疼痛」を引き起こしているともいえるでしょうし、あるいは「中枢機能障害性疼痛」というのは、トラウマそのものであるという大胆な解釈もできるかもしれません