文化としての精神病理学 -「データの学」との対比における「言説の学」ー

井原裕 文化としての精神病理学 -「データの学」との対比における「言説の学」ー. 臨床精神医学, 31:649-655,2002

  • 精神医学は本来、部分でなく、人間全体を扱う学のはずである。精神科臨床は人間全体を扱う
  • ここでいう言説とは、「一定のテーマに関する組織的な議論展開」という程度の意味
  • 「言説の学」は、人文諸学においては学問の中心をなす。その目的は、あるトピックについての著者の主張を言語の流れによって展開し、読み手を納得させることにある
  • 対照的に、自然科学や社会科学の実証実験におていは、「データの提示」が最大の目的である
  • 「言説の学」では、事実それ自体ではなく、事実の見方とそれに対していかにすべきかについての、著者個人の意見が問われれる
  • 一方、「データの学」では、著者の個人的見解の披露は第一義ではなく、むしろ提示された事実が、あらゆる解釈に先立って、それ自体で意味をもつ
  • 「言説の学」では、社会、人生、生活、感情との繋がり方が「データの学」とは比較にならないほど密接なのである
  • 「データの学」におては、データによって証明された結論のみが価値を有するのに対し、「言説の学」においては、言説の展開の過程そのものが全体として価値を持つのであって、最後に一定の命題がでてくるわけではない。
  • 「言説の学」では、先行論文の言説をエビデンスとして組み込むとはいえ、中心となるのは著者独自の議論である
  • 「言説の学」では、「序章」に具体的な命題は示されない。仮説を証明することが目的ではなく、著者の意見を論理的に展開することが目的だからである
  • このような価値、理念に関する領域は、「未知の事実の科学的計測による発見」といったデータ研究方法だけでは攻めきれない
  • 精神医学は、かならずしもデータの蓄積によって推し進められたわけではなく、むしろ範例的な業績があって、それを理論的に深化させることで発展してきた
  • 日本のアカデミズムにおいて、言説を中心に論文を構成する精神病理学は、一つの文化として定着し、長く受け継がれてきた。
  • 重要なことは、「言説の学」としての精神病理学が、人文学の伝統を抜きにしては語れないということである
  • 英語圏では、このような「言説の学」はNBMとしてようなく、しかし、いささか意外なことに、一般診療の中から認識されるようになった
  • NBMの主要なメッセージは、「断片的な患者との対話や接触からなるモザイクから、継続的な患者の物語りを構築し刻々と展開するこのような物語りとのつながりを保ちつづけること」と要約される
  • 「言説の学」における症例研究は、非凡な症例を深く研究する点で、平凡な症例によって母集団を代表させる「データの学」とは対照的である