慢性疼痛の当事者として生きる

今崎牧生 慢性疼痛の当事者として生きる 保健の科学 2018;60(11):762-766

  • 医療者や周囲から「痛みのとらわれないように考え方を変えて」「やれることを探し痛み以外のところに目を向けて」などの言葉に困ったり傷ついたりという話は時々聞く。どうもわれわれ当事者には、「破局的思考」「も「認知行動療法」も不評である
  • 短絡的に気持ちや認知の問題として取り扱うことで起こる医療現場での大きなでもエリットを当事者の立場から2つあげておく
    • 1 短絡的な「心因」は、誤解を招き当事者はそれとの付き合いにすでに疲れている。通院を諦めひとりで苦しんでいることも少なくない
    • 2 認知行動療法を含む集学的な包括的な医療に対して、過剰に期待してしまう。「どのような原因の疼痛でも効く」「医療者の側が適応も考えず、本人も望んでいないのに行う」などの誤解がせっかく芽生えた集学的な医療に対して生じている
  • 医療者側、患者側双方の認知の歪みが合理的な治療の判断を誤らせる。難しい用語を使うまでもなく、人はそもそも不合理な選択をする生物である
  • DIPExのいくつかの語りは、周囲からの理解されないことの辛さを静かに告白している

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