その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)
- 作者: 上岡陽江,大嶋栄子
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2010/09/01
- メディア: 単行本
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- そこそこ健康な過程に育つと私はクッションのように幾重にも守られている
- 私 父母兄弟 祖父母、いとこ 学校友達近所の人
- 依存症の女性は応援団をもっていない
- 家族のなかに緊張がある。応援団をもたずに孤立して放り出される
- 回復というのは、他人を優先したことが、「自分を真ん中にして考える」ことへと変わっていくこと
- 境界線を壊されて育つ 頼りになる奴として生きていく
- 境界線を壊された子どもは何を感じるようになるのか
- お父さんがアルコールで問題があるとか、お母さんがいつも起こっているとか、いろいろな問題があったとき、子どもは幼ければ幼いほど「自分のせいだ」と考えてしまう
- 私ががんばらなければ家族が壊れてしまう
- これだけ背負っているのだがから、私の痛みも誰かに背負って欲しい
- 一人の子どもが背負うべき責任の範囲を教えられていない
- お父さんとお母さんの問題を自分のものとして背負っているので、いつもお父さんとお母さんの痛みも感じている。そうすると、やがてそれが自分の痛みなのか、お父さんお母さんの痛みなのかがわからなくなるんです
- 日常が危険で非日常が安全なんです。さらに攻撃と密着を愛情と勘違いして教えられてしまった
- すごく寂しいと、私たちはつい相手と重なり合う”ニコイチ”の関係、つまり相手と自分がびったり重なりあって「二個でひとつ」といった関係を望んでしまいます。
- ニコイチとDVは表裏一体です
- 援助者に対してもニコイチをもとめる
- なぜ言葉でなくてすぐ行動化するのか。私は「言葉がつながっていないひとたちだから」だとおもいます。それまで、”話す”という形でコミュニケーションをとってこなかった。あるいは家族の中で「感情を表現するような言語」が使われてこなかったからです。
- 援助者に期待する役割 身体の手当をする、距離をとるのではなくチームでつきあう
- 医療者中心の応援団をつくり、徐々に置き換える
- 女性依存者の回復
- 自分の言葉で話せるようんいなること。「お父さんが」とか「彼が」とか「誰かが」ではなく、「私が」としゃべれるようになること
- 自分の都合も優先できるようになること
- 変化する自分のからだとつきあえるようになること
- 子供の頃にいろいろなことがあったので、身体の感覚のスイッチを切って、一生懸命痛みを感じないようにして生きてきた
- 緊張しなくてはいけないようなところに長くいると、痛みを感じなくなる
- 思い出づくり 思い出とは出会いと生き抜く知恵
- 当事者にとって相談のイメージ 支配、恥、解決
- 親のSOS(子どもにしてみればグチ)をずーっと言われ続けていると、その緊張感の中で、「眠い」、「喉が渇いた」「お腹すいた」「疲れた」「おしっこしたい」といった生理的欲求が言えない子どもになることがあります。これらは人間にとって基本的で大切なことなのに、安心する関係がないといえないんですね。言えないだけでなくて、感じなくなっていく。緊張感のなかで身体の基本的な感覚が解離していきます。
- 生理的欲求というのも実は、その表現の仕方を教えられてはじめて表出できることなのです
- 親のグチ 正当化している。同じ話を何度もすることで、生き抜くストーリーをつくっていたんではないか
- 「死にたい」しか言えない人たちに、「自分の中の小さな不満や不安を言っていいんだよ」と伝えたい
- 痛みがしずかな悲しみに変わるのは、数えきれないくらい同じ話を誰かに聞いてもらわないといけないんですね
- 思春期の子どものケアを長年やってこられた方が、「怒るべきところで怒れると、あとでその子はよくなるといっていました。メンバーたちを見ていて思うのですが、みんな抑うつ傾向をもっている。抑うつというのは基本的なところに怒りがあるらしいですが、みんな怒るところで怒ってきていないから、底のところで怒りが残っていて、それが抑うつに変わっているのでしょうか。
- 援助者は繰り返し、「共感はするが、巻き込まれない」ことが専門職にとって必須だと教えられる
- トラウマは深く話しても楽にならないし、解決もしない
- 援助者の皆さんは、「相手の話を深く聞いたらその人が楽になるんじゃないか」と思って、がんばって聞くことがありますよね。深い話を聞くことに専門職としてのアイデンティティを感じている人もいるかもしれません。そして話をする側も、自分の過去のトラウマについて深く話せば「解決するかも、変化するかも」と期待して話します。
- でもそれは幻想です。トラウマを深く話しても楽にはならないし、解決もしません。
- 説明しているあいだは楽にならないんです。説明って人を楽にはしない。よくなっていくときの話って、説明じゃないんです。むしろ「どういう気持だったか」ということを話せるようになったときに、その人の回復をみるほうが多いなあと思います。