高次脳機能障害と医療不信が関与していた慢性痛の治療:事件は会議室

清水大喜 高次脳機能障害と医療不信が関与していた慢性痛の治療:事件は会議室でおこっているのか、現場でおきているのか? ペインクリニック 2015;36(7):973-979

  • 痛みに対して橈骨神経や指神経の切離を受けていたが、それでも患者が痛みを訴えたところ、手術担当医から「神経を切ったのだからこれで痛いならおまえは宇宙人だ、ETだ」と言われたと悲しそうに訴えてきた。私は患者の訴えを支持し、「痛みが残ってるのだから、神経はきっと残っているのでしょうね」と話したが、後日に患者からは、信頼する前医のことを否定されて不快だったといわれてしまった
  • しかし、何とか会話を続けていられたのは、そのころに聴講した講演で聞いた「患者から逃げてはいけない」という言葉が心にズシリと残っていたからだと思っている
  • 今考えると、(神経ブロック等の治療が効かなかったのは)、この患者は他者否定の考えが基本にあり、強い警戒心があり、交感神経の過緊張を伴っている、”治療が効かない患者”だったから、かもしれない
  • 私がおこなった方法は、検査結果と過去の医療機関の情報を示して、現実を受け入れることを患者に迫るという、強引な方法であったと反省している。患者が現実を受け入れるペースを尊重し、患者が変化することを信じて待つような余裕は私にはなかった
  • 目の前の患者の痛みは、感覚の要素が多いのか、情動の要素が多いのか、神経ブロックで改善する痛みかどうかだけで判断できるほどの単純な問題ではない。しかし、神経ブロックにより感覚を遮断することで、その痛みの訴えの真意が感覚体験によるものか情動体験によるものか判別できることもある。これはわれわれペインクリニック医の強みだと考えている
  • 逆に、明らかに心因性の要素が強く、情動からくる痛みだと思い込んでいた患者に神経ブロックを行うと著効することもある。そのようなときは、「痛みは脳で起きているんじゃない。局所で起きているんだ」と自分に言い聞かせる。漫然とした神経ブロックは有害な部分が多いが、このような診断的な神経ブロックは痛みの診療には非常に重要だと考える
  • 知人の精神科医に、「通常の認知行動療法精神科医が専門だけど、痛みの患者の認知行動療法では、ペインクリニックの先生の方が優れている」といっていただいたことがある。その時は、そのようなことはないと思っていたが、最近はペインクリニック医だかこそできる心理アセスメントもあるのではないかと考えることがある
  • すべての痛みは感覚と情動の両方の要素が含まれており、二元論でどちらか一方が原因と決めつけられるものではない。しかし、どちからの要素が強いかを診断することが診療の助けになる場合もある。この目の前の患者の痛みは脳で起きているのか、局所でおきているのか、と自分に問いかけながら、日々の診療をしている
  • コメント 細井昌子
  • 患者さんと清水先生のやりとりで、「これまで診察で頑ななまでに過去の病気の事を隠し、精神障害の存在を認めず、他人を信用しなかったのかが、この時ようやく理解できた気がし、そのまま患者にその気持を伝えた。私に話してくれたことへの感謝の言葉が自然にでてきた。」というやりとりは、清水先生の心身医学的治療の真骨頂であり、人を信じられなくなっていたこの患者さんのこころを揺さぶった心身医療の転機となる安定した信頼関係形成の瞬間です
  • こういった現象から、人間不信や医療不信によるノセボ効果がなくなるとともに、安定した信頼関係というプラセボ効果も上乗せして、本来の医療効果を最大限に発揮できることになり、それによって将来に対する悲観が希望につながり、好循環を生み出すことになるようです。これらの効果を生み出す治療者自身がそれを自覚し研鑽することを、Watkinsらが「治療的自己」と読んで心身医学においてその重要性が喚起されています。