丸田俊彦  慢性の腰痛は精神科疾患か 医学のあゆみ 1988;147(14):1174-1176

  • 痛みは大きく2つの要素に分けることができる
    • 主観的な知覚としての痛み
      • 完全に、永久に個人的な体験
    • 客観的に観察可能な”反応”としての痛み
      • 1 頻脈、散瞳、発汗といった反射的・生理的は反応 警告刺激としての痛みに対する生態の防御反応 主として急性痛
      • 2 痛み知覚に対する随意反応、痛みの存在を周囲に知らせる随意的反応(行為)を総称して疼痛行為(pain behavior)と呼ぶ。言葉、表情、目付き、体位の変化などによる痛みの訴えはもちろん、病欠、頻回の来院、投薬・入院・手術の要求、労災保険の申請なども含む
  • 慢性の腰痛は精神科疾患か?
    • 急性の腰痛が、解剖学的・生理学的・生化学・病理学的検索の対象とすれば、”疼痛行為”をおもな臨床症状とする慢性腰痛の患者は、生活史的、人生観的側面を含んだ心理的検索の対象である
    • 慢性腰痛と上手に”おつきあいし”、医師を訪れることのない人はたくさんいる。それがうまくいかず、診断・治療をもとめ医師を訪れて始めて患者となる
  • 病歴をとる視点
    • 腰痛の原因が生物学的(bio-)なもの(たとえば、器質的疾患、薬物依存、うつ病など)か、心理的(psycho-)なもの(たとえば、家庭・職場での葛藤、患者ー医師関係、心的葛藤、不安など)か、あるいは社会的(social)なもの(たとえば、補償、訴訟、労働条件など)かと分断するのではなく、そのそれぞれがどのように組み合わされ、互いに影響を及ぼしあっているかを流動的に理解する
    • こうした患者の疼痛行為は、しばしば医師の側に情緒的な反応を引き起こす
    • たとえば、一般の患者に対する以上に、”うるさい”、”なんとかしてあげたい”、”かわいそうだ”といった気持ちが医師の側に湧いたとすれば、その患者は何らかの心理的問題を抱えているか、あるいは医師の側が無意識のうちに患者の疼痛行為に反応しているのである.そうした精神的反応をあいまいなままにしておくと、医師ー患者関係の問題が疼痛行為を増強し、腰痛の慢性化を促進しかねない
  • 治療とマネジメント(管理)
    • 疼痛行為をおもな臨床症状とする腰痛の患者の治療にあたって、もっとも重要なことは、”治療をうけたらよくなり、感謝するのが当然”という(無)意識的な期待をまず医師の側がすてさることである。まして、”治療をうけてよくならないのは患者の心の病気のせい”と言い切ってしまっては、上がるべき治療効果も上がらない。
    • 慢性腰痛患者が、”頭痛の種”になるのは、医師が理由はなんであれ、”痛みの治癒”をめざすときである。
    • 疼痛行為をおもな臨床症状とする腰痛の患者の治療対象は、”疼痛行為”であり、痛みそれ自体ではない。そうした意味で、そうした患者の処置は治療とはよばず、”マネジメント(管理)”と呼ぶほうが適切であろう
  • ”マネジメント”の目標は痛みの量の減少ではなく
    • 痛みを人生の一部として受け入れること
    • 痛みとともに生きること
    • 痛みにもかかわらず、充実した人生を楽しむこと