座談会 慢性疼痛を考える こころの臨床ア・ラ・カルト 1994;13:45-55
- フォーダイスの発想の転換というのは、それまで痛みというのは、身体的であれ、心理的であれどこかに何か悪い部分があって、そによっておこる症状であるという、殆ど疑いをもたれていなかった前提があるわけですが、そうではなくて、その痛みを訴えることによって起こった結果というものが痛みの持続とか増悪に大きな影響を与えていると主張した点にあるわけです。
- ここ10年になりますけども、臨床体験のなかで疼痛行動の報酬が非常に多様であるということが分かってきました。
- 身近な人に対する攻撃感情を持っているが、一方でそのことに強い罪悪感を抱いていて、痛みに注意を転換して、なんとかその葛藤状況を回避しようとしている自己抑圧的とか、周囲を思いやるという心情を抱いている患者さんも転換型の慢性疼痛には多いのです。
- 疼痛行動の報酬 周囲の養護的反応、現実の回避、葛藤の回避、家族システムの維持
- 患者さんの慢性化した状態だと同じ認知に陥りがちですから、小さな変化を捉える眼がわれわれには必要だし、その変化にあわせて治療を変えていく
- 人にとって一番の大きなストレスは、周囲に人から疎外され孤立してしまうことだと思います。
- 痛みが家族が一つのシステムとしてまとまっていく、あるいは新しい家族の携帯を作っていくためのパワーになるという側面を考える必要があると思います。
- 痛みがコミュニケーションの重要な手段となっている場合は、痛みを早くとって欲しいと言いながら医師の指示には従わないことも多いですね。それも治療者に対する疼痛行動です。
- 家族療法はその人の生活なり家庭なり人生なり、もっと大きな枠組における痛みの意味を見ているように思います。
- 慢性疼痛を治療する医師が一人で、痛みの二重の側面を同時に扱って統合していけば理想だと思いますが、なかなかうまくいかない。
- ブレナという人は慢性疼痛は”5D syndrome”であるといっています。
- drug, depression, dysfunction, disuse, disability
- その他にdyscommunication, doctor shopping
- 痛みは便宜的に、侵害刺激のある痛み、感覚伝導路に異常のある痛み、それからコミュニケーションとしての痛みとか、オペラント行動としての痛みとかわけられる