ドクター・ショッピング―なぜ次々と医者を変えるのか (新潮新書)

ドクター・ショッピング―なぜ次々と医者を変えるのか (新潮新書)

  • 気になることが病気の人
    • 1 医師から症状についての説明を受けると、理解し、納得する
    • 2 病態説明を理解はするが、症状にこだわり続け、自身もいろいろと分析てきになっている (神経症領域)
    • 3 病態説明は理解する。それでも、身体の具合の悪さだけ訴え続ける (心身症領域)
    • 4 病態説明を理解せず、自分の考えに合わない診断や解釈には納得しない (精神病領域)
  • 身体表現にみるメッセージ伝達法 医師は本来、患者の状態をこれらの3つの表現を総合して診断すべきものだ
    • 患者の言葉(言語表現)
    • 顔の表情や身体の動き(身体表現)
    • 検査による数値(検査による身体表現)
  • 治療の型には医療モデルと成長モデルがある。医療モデルとは、薬物療法、外科療法、放射線療法などをおこない、病気そのものを取りそぞこうとする方法である。成長モデルとは、個人の人間的な成長を促し、心の安定を得ることで疾患治療をおこなっていこうというものだ。人間的成長によって、日常生活でのストレスへの対応がうまくなり、社会に対する適応性が上がる。精神的にも身体的にも安定した状態が得られることによって病気も治っていく。
  • 得てして、「心身医学」的な病気は「身体医学」的なそれと違い、原因が極めて見えにくい。現代医療では、明らかな病気であればまず発見できるし、治療も可能だ。しかし、ここから外れてしまう病気が現実にはある。これをとらえるのが心身医学であり、心療科、心療内科がこれを担っているわけである。
  • 森田療法という高名な心理療法がある。また、”従病”という言葉もある。病気に従うのではなく、病気を従えるという意味だ。「これさえなければ」と症状にこだわるのをやめ、「たとえこれがあっても」と、症状をあえて受け入れ、乗り越えていく方向に思考を転換する姿勢も必要である。
  • 整形外科ではどこを診るか。骨である。そして、X線写真をとり、CT,MRIを駆使するなおどして、骨の形状、並び方、陰影などを観察する。だが、痛みを裏付けるような所見はえられなかった。ところがである。中には、脊椎骨のわずかな変形などをも病的なものと解釈し、それと症状を関連させて、患者に伝えたりする医師がいるのだ。「この三番目の、腰の骨の、ほら、ここです。すこし軟骨がでているでしょう。これが悪さをしているかもしれませんね」。写真を示しての説明だけに、森山さんには説得力十分だった。だが実際、そのような軽微な異常が、激しい背部痛の原因になるだろうか。こんなのは医師の苦し紛れの回答にすぎない。なんでもかんでも病気として捉えうようとする医師の姿勢が現れている。
  • ドクターショピングする人 しっかりもので他人思い、物事にこだわるタイプ、俗にいうマメな人が多いようだ。生来しっかり者で物事にこだわる性格なので、ちょっとした身体の異状にも敏感に反応してしまう。なっとくがいくまで、病院巡りを続けてしまうのだ。どんな微細な埃も、取り除かなくては気が済まない。つまり、異常がほんのわずかでも認められれば、それは病気であり、それがどういうものであるかが、しらされなければならいのである。「異常なし」のようないい加減な答えは、断じて許されない。症状があるのに病気でない。そんなことがあってたまるか、と考えるのだ。この潔癖性がドクターショッピングに向かわせる例は極めて多く見られる。
  • 身体の言葉だけを聴くのではなく、患者本人からもたらされる言葉にも真摯に耳を傾けることによって、「身体の言葉」が何を代弁しているのかを読み取り、症状改善につなげることができたといえよう。