痛みの話―生活から治療から研究から

痛みの話―生活から治療から研究から


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ところで、このような、痛みの発生から回復への明瞭な経過をたどらず、一向にはかばかしくないお年寄りも多い。入院時にもとりたてて身体の使いすぎの症状があるわけではないが、高齢者に多い、腰、背中、ひざなどの痛みがつづいていてなかなか治らないそうだ。若い医者には見向きもせず、年長のえらい先生にのみ、しきりと症状を訴える患者さんもいるとのことだ。こういう患者さんたちの中に前述の自営業者の家庭はまれとのことである。大体が給料生活家庭で、家族総出で家業に忙しいということもなく、はためには平和で安楽な家庭に見える。だが、こういう家庭に、見かけと裏腹に居場所のないお年寄りがいるのだ。これらのお年寄りにとっては、病院の方が自分の家より気兼ねがいらない。病院で何かと訴えたくもなるであろう。その訴えが家庭内の出来事についての愚痴やら自慢やらではなく、痛みであることが問題である。明治、大正生まれの価値観からすれば、家庭内のあれこれを他人に訴えるようなはしたないことは到底できることではなかろう。隠遁の身で、もはや恥も外聞もないと開き直った心境になれば別だが。そこで身体の症状としての大義名分のある痛みが、はしたないと口にも出さない思いが心の中にある分だけ増幅されて訴えられることにもなるだろう。
 このような場合、根本的な対策は、住宅問題職業問題を解決することである。

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痛みの身体的な原因がつかみきれない(つまり診断が決定できない)ままに、これは心因性の痛みだ(つまり、身体的には痛みの原因がない)と決めつけてしまってはならない。このようなわけで、痛みの感情的側面と感覚的な側面を区別し、かつ、感覚的側面を把握する客観的な測定法が是非とも必要なのである。言語法だけでは不十分である。
 痛みの感情的な面についての治療は、感覚的な面についての治療とは別に両者平行で進めるべきことである。